「サボテンと不揃いの階段」

【なんと愚かなことを!】

 ジャコバサボテンが今年も花芽をつけていよいよ花開きそうになったので、暖かな居間に入れて毎日楽しみに待っていました。

 ところが何日たっても花が開かず、さらにしばらくすると白い蕾が黄味がかってきて、そのうちひとつふたつと落ち始めたのです。

なんと愚かなことか!

 鉢を育てるということはもう何十年もやってきたのに、どこか本気でなかったのか、しょっちゅう失敗します。

 寒いところで花芽をつけ始めた植物を、急に暖かなところに持ってきてはいけなかったのです。

【サボテンは周囲を見る】

 秋も深まり霜が降り、屋外気温が氷点に近づこうとするこの時期は、ジャコバサボテンにとって生命の危機を感じるときです。春から夏そして秋にとかけてと、何もせずにノウノウと怠け暮らしてきた植物の脳裏に「凍死」の二文字がちらつきます。

 生き残る道はほとんどないのかもしれない、しかしせめてDNAだけは残したい――何とか子孫は残せないものか、あるいは一度死んでも再び生まれ変わるというわけにはいかいないだろうか――ジャコバサボテンはそう思いつめます、そして思いつくのです。

「そうだ! この体はだめでも、寒さにも乾燥にも強い“種”の形でDNAを残し、暖かい季節になったら再び生きなおせばいいんだ!」

 そして“種”をつくるべく、その前段階として花を咲かせようとするのです。状況の良かったときはまったくする気のなかった努力を、今初めてしはじめます!!

 ところがそんな状態の時に、私は鉢を暖かな居間に移してしまったのです。しばらく頑張ることに忙しくて変化に気づかなかったジャコバサボテンも、次第に理解していきます。

「あれ? 寒くないじゃん?」

 最初は疑心暗鬼で慎重でしたが、やがて確信を持つに至ります。

「あ、このまま暖かい部屋にずっといられるんだ! もう花も実も種も造らなくていいんだ」

「今まで通りやっていても何も困ることはなさそうだ」

――そして生き方の舵を、大きく「安逸」に向けてしまうのです。

 暖かな居間い入れられたジャコバサボテンは次第に花芽を落とし始めます。

【植物は裏切らない、人は植物を裏切るが】

 学校の先生の中には植物栽培の好きなひとがかなりいます。

 斯くいう私がそうですが、教育は生身の人間相手ですのでしょっちゅう裏切られ、アテが外れ、努力のわりに成果があまりにも少なかったりしますが、植物は裏切りません。一方にそうした確実なものを置いておかないと、教育という仕事は続けていくのが困難なのかもしれません。

 植物は努力が反映しやすく、水や栄養の適量とか適温とかがはっきりしています。特に鉢物の場合、教科書に従ってきちんと管理すればまず失敗することがない、しおれても水をやればすぐに息を吹き返す、元気がなかったら日当たりの良いところに出したり追肥をすればどんどん大きくなる。ものによっては潅水を控え、別の植物には毎日たっぷりやる、そうすることでいくらでも思い取りに育てることができます。

 さらに言えば日照や温度を管理することで真夏に菊を咲かせたり、真冬にトマトを育てたりといったこともできます。昨日はそうやって騙されたイチゴが、全国で食卓に上っていたはずです。しかし人間をそんなふうに騙すことは絶対にできません。

【人間に時が訪れる】

 孫のハーヴが歩き始めました。先月の初めのことです。

 母親のシーナが20数年前にそうであったように、歩くことが楽しくてしょうがない様子です。とっとっとっと歩いてはコテッと倒れ、よっこらしょと立ち上がってはまたとっとっと、コテッ、コテッ・・・、全く飽きもせず、ニコニコ顔で果てしなく歩きます。まるで人間にとってこれ以上の幸せはないといった感じです。

 それにつれて歩く以外のこと、例えば発話なども進み、できることも多くなりました。バイバイ、いただきます、ごちそうさま、抱っこ!

 出産時に事故があってとても心配された子です。

 早い子だと生後3か月でしている寝返りができたのが10か月目。ハイハイは11か月でようやく前に進み始めました。その間は他の子がのしかかったり跨いでいったりするのを、仰向けに寝て、あるいは座ったままで、ただ黙って見ているだけでした。母親のシーナもその長い期間をよく落ち着いて眺めていたものです。

 シーナは辛抱強い努力家ですのでめげずに教えましたが、「いただきます」も「ごちそうさま」もいつまでもできませんでした。はめ込みパズルも渡されると床にガンガンたたきつけるだけです。それが時を得て、一気にいろいろできるようになってきたのです。

 以前、「私が先輩から教えられた最も重要なことのひとつは、子どもの成長は不揃いの階段だということです」といったお話をしました(「成長の階段」2010.01.29)。

 機が熟さないと人は成長の階段を駆け上がることができません。

 植物だって時期を見ないで水やら養分やらをガンガン注ぎ込めば死にます。人間の場合はそこまで単純ではないにしろ、与えたものが無駄になるだけではなく、もしかしたら目指したものとは違う、怖ろしい部分を育てることになっているのかもしれません。

 植物と違ってやったことの成果が出るのは、取り返しのつかないくらい先のことですので、それを恐れるのです。

 私はそんなふうに考えながら、学校教育と自分の子育てをしてきました。