カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「父親が娘に伝える性教育」④

(8)奢られてはいけない。

 ほんとうに恋人同士になればワリカンも通用するけど、それ以前は男も奢りたがるものだ。金を持っているところを見せたいというより、鷹揚な感じを演出したいんだろうね。
 でもウカウカとそれに乗ってはいけない。理由のないプレゼントも同じだ。
 一回二回ならまだしも、度重なると男は元を取りたくなるものだからだ。

 もともと金を払うということはそれで何かを得ようとする行為だ。じゃあ奢りたがる男やプレゼントしたがる男はそれで何を得ようとしているのか? そこが留意点だ。
 最初の1〜2回は「ご馳走様、ありがとう」という感謝の言葉を買い取ったのかもしれない。
 さっきも言ったように、金に頓着しない鷹揚な男という演出に対する出費かもしれない。
 気の弱い、自信のない男の子だったら「こんなボクのためにわざわざ時間を作ってくれてありがとう」という女の子へのお駄賃かもしれない。
 金を払うことで優位に立つつもりの男かもしれない。
 デートは男が支払うものだと古い道徳観に縛られているだけの男かもしれない。
 しかしいずれにしろ、それらは最初の1〜2回のことであって、3回、4回と重なるとそれだけではもたなくなる。
 シーナが自分の支払い分だけ何かを差し出さないと、相手の欲求不満は高まるかもしれない。金を払ったのだから何かをしてもらって当然と考える不心得者もいるかもしれない。それは危険なことだ。

 相手が“しばらく付き合っていい”と思える人でも、できるだけ早い時期にワリカンの関係に持ち込んでおいた方がいい。そうではなく、“この人、今後はないな”と感じるような相手だったら早めに返金しておく必要があるだろう。
 父は昔、最初のデートでお土産を持たされたことがあったよ。一緒に入った喫茶店で、トイレに立ったかと思ったらそうではなく、店のケーキを買って箱詰めにしてもらい、それを渡された。
「家に帰ってから食べてね」
 もちろんその意味は分かった。だからその人は二度と誘わなかった。

 その場でワリカンを主張するのが難しい場合もあれば、相手のメンツを潰しそうで申し訳ない場合もある。だったら次に会ったとき、何かお礼ができるように用意しておくといいかもしれない。
 好きでもない相手に奢られて、したくもないお返しにお金を使うのは納得できないかもしれないが、安全対策には出費を惜しまないことだ。

(9)燃えるような恋はしてもいいが、されるのはなぁ・・・ 

 高校生のころ、初めてフロイトに関する本を読んで父はうんざりした。崇高なはずの恋愛をすべて「性欲」に還元してしまうやり方は、当時の私には我慢できないものだった。
 けれどこの年になって気づいたことは、若い頃の恋愛というのは結局、「好意」と「性欲」と「依存心」の混合物なのだ。
(異論はあるかもしれないがまずは聞きなさい)

 父も中高生のころ、そして大学生の前半くらいまでは身を焦がすような恋愛をしたつもりだったが、ある時期からそうした実感が掴みにくくなってきた。
「ああ、これが求めていた人だ!」と衝撃的に思っても、それが一晩しかもたない。翌朝になると指の間から解け落ちてしまっている。
 そんなはかない経験が何回か続き、繰り返されるたびに間があくようになっていく。そしてしまいには、そうした恋愛の衝撃自体が感じられなくなってしまった・・・。
 さて父は何を失ったのだろう?
 もちろん「好意」を抱く女性はいつもいた、しかもたくさん。「性欲」については――これはもう全方位外交みたいなもので方向性を持たず、常にある。
 そうなんだ、失ったのはたぶん依存心なのだ。
 誰かに側にいてほしいといった甘い気持ちも、すがっていたいといった隷属的な感じも、逆に誰かの上に君臨していないと気が済まないといった特殊な依存心も、ひとつもない。もともとなかったかいつの間にか消えてしまった――大人になったということだね。

 もしかしたら、燃えるような想いでお前に近づいてくる男の子は、非常に依存心の強い子かもしれない。二十歳前後までならそれも仕方ないが、それ以上だったら考えものだ。世に言うストーカーもDV夫もヒモ男も、考えてみたら皆ひとりでは生きられない依存心の強いタイプだからね。
 ほんとうにお前を幸せにしてくれるのは、そうした激しい愛情の持ち主ではなく、強く持続的な好意で、じっと辛抱強く、見守ってくれている人だ。
 父と同じようにね。

(この稿、続く)