昭和20年8月15日、太平洋戦争は日本を壊滅的な状況に追い込んだ上で終了しました。そのことを4年前の12月8日、開戦の日に予想した人は少なかったはずです。この前も書きましたが、普通の日本人は真珠湾攻撃の報に気分を高揚させ、気持ちを引き締め、知識人の多くが暗雲が晴れたような清々しい気持ちになった(例えば桑原武雄)と書き残しているからです。
しかし日本人のすべてが無知だったわけではありません。
猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」に詳しいように、その年の夏、政府は「総力戦研究所」という組織をつくり、大蔵省・商工省をはじめとする政府のトップエリート、陸海軍代表、日本製鉄・日本郵船などの民間人も加えて、「日米もし戦わば」をテーマにシミュ―レーションを繰り返したのです。しかし何度やっても日本は絶対勝てない。結論から言うと、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という、原爆を除くとほぼ現実となる未来が提示されたのです。
一方、在外高官の中にも事態を冷静に分析した人々がいて、例えばスウェーデン駐在武官小野寺信とその妻(戦後「ムーミン」を翻訳)の物語は今年の夏、NHKから「終戦スペシャルドラマ 『百合子さんの絵本〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜』」という題名で紹介されました。
そうした人々にとって太平洋戦争は進めるべきテーマでも不可避なものでもなく、絶対回避しなければならない至上命題だったのです。しかし歴史は戦争に動いた――。人々が12月8日の意味を本当に思い知るには、少なくとも4年の歳月がなくてはなりませんでした。
さて、今日、平成28年9月8日は大地震でもない限り普通の日として歴史に何の足跡も残さないはずです。特に喫緊の問題があるわけでもありません。しかし昭和16年の9月8日も国内的には何もない日でした。
調べるとロシアではドイツによるレニングラード包囲戦が始まり、アメリカではバーニー・サンダースが生まれていますが、日本には直接的影響のほとんどない問題です。翌9月9日はさらに平凡な日です。しかしその裏で、一部の人々は太平洋戦争の準備を着々と進めていたのです。
そのことを考えたとき、再び平成28年9月8日に立ち戻って、今日の段階で、仮に私たちの知らないところで戦争の準備が着々と行われていても、おそらく私たちは気づかない。昨年の安保法制のように目に見えるものならまだしも、見えないものには容易に気づくことができないだろうと思うのです。
私が気にしているのは昭和16年12月8日に「気分を高揚させ」「暗雲が晴れたような清々しい気持ちになった」人々が直前まで持っていた怒りや不満、屈辱や被害者意識、危機感の醸成が,平成28年の今、着々と進んではいまいか、ということです。
戦争に加わるのに最も大切な要件がそれだからです。どんな軍国主義者・好戦家が政権に就こうとも、国民が軍拡や戦争を望まない限り(望むよう仕向けられない限り)、誰も戦争への系統樹の枝を伸ばすことはできません。
(話をさらにひとつ戻します)
そのうえで私が気にしているのは、金正恩氏の火遊びです。
(この稿、続く)