カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「眩しい人々」~あそこまで厚顔無恥だと、むしろ神々しい

 舛添知事の定例記者会見が金曜日のため3週に渡って土日の報道番組・バラエティは同じ人の顔を映し出します。気分の悪いことこの上ありません。
 先週あたりから「第三者の公正な目で見てもらうことにした」と言う話になっていますが、テレビや雑誌に出てくるどの専門家も口をそろえて言うのは「法律違反とは言えない、ただし道義的問題はある」。だったら「第三者の公正な目で見て」も結果は同じになるに決まっています。結局決定的な問題は出てこないのですから多少疑問の残る例については「申し訳ありませんでした。お金を返します」と言ってあとは逃げ切れる――そんなふうに本気で考えているのかもしれません。

 しかしこの国で仁義を欠いて生きていくのはたやすいことではありません。“たかが不倫”で国会議員を辞めた人もいれば、とんでもない違約金を抱え込んだ芸能人もいるのです。都民の税金を使っての不道徳となればなおさら人々が引き下がるとも思えません。
 毎日大量の苦情に翻弄されている東京都職員はうんざりしていますし、議会もいつまでも知事の味方でいるわけもありません。このまま炎上・再炎上を繰り返し、結局むかしの映画の「座頭市」みたいに“いやなトセイだなァ”といって辞任するしかなくなります。早く辞めればいいのになぜこうもみっともなくしがみつくのか・・・
「昔の武士ならとうに腹を切っとるわ!」
と私でさえ時代錯誤の説教もしたくなります。

 ところが私の妻は今でもピンと来ていないようで、
「だってあの『遠距離介護』の舛添さんでしょ? そんな人が不誠実なことなんて・・・」
 聞けば、厚労大臣になる前に毎週遠距離介護のために帰省し、痴呆症の母親の面倒を見続けたとか。その介護を題材にして2冊も本を書いていますし「介護の舛添」のキャッチフレーズで厚労大臣になったともいわれています。
 妻はその姿に当時一筋の光明を見つけたような気がしたと言います。
「こうした有名人、立派な人が介護に必死になっている姿を見せることによって、日本人の介護に対する認識は変わるのかもしれない」

 ただしつい最近になって、その介護も、
「1か月に1回来るか来ないか。それも母親の顔を見て帰る程度でした」(スポーツ報知
という話が出てきており、かなり眉唾となってきています。
 どちらが事実を言っているのかわかりませんが、本人が「私は年間約500万円の足代がかかる遠距離介護を選んだ」PRESIDENT Online 201.01.17)と言っていますからむしろ怪しい。自分のためでなく、誰かのために500万円も出す人だとはとても思えないからです。
 ただし同じ文のあとの方で、「また精神的な負担になる可能性があるのが親族との関係。(中略)特に金銭が絡むと話がややこしくなる。これを解決する1つの方法は介護を親のお金ですること」と言っていますから、ケチでも毎週行くことはできたのかもしれません。
 しかし「毎週末」がほんとうだったとしても、それで「介護」はないでしょう。他の五日間は誰が面倒を見ていたのか――。

 ところで、
「1か月に1回来るか来ないか。それも母親の顔を見て帰る程度でした」
 そんな証言がいつでも出てきそうな状況にありながら、舛添要一氏は本を2冊も書き、厚労大臣になりました、そして介護問題も中心公約にして都知事にも立候補する――私は呆れるというよりはむしろ眩しい想いで仰ぎ見ます。
 私には絶対できない――。

 話は変わりますが、同じような想いにさせられるニュースがもう一つありました。
 それは今月12日、神奈川県の墓地で女性の遺体が発見された事件の裁判で、被告の女性が「北川景子に負けたくなかった」と証言したことです。
 それによると主犯とされる男は、「お前がやらなければ北川景子と撚りを戻して手伝ってもらう」、そう言われて協力する道を選ばざるを得なかったというのです。男はそれまでも何度も北川景子の名をあげており、相武紗季に迫られて困っているといった話もしていました。
 それが信じられてしまう。
 もっとも路上で電話をかけるふりをして、「私としてはここはエグザイル押しで行こうと思います」と見知らぬ人にまで芸能関係者を装うような男ですから、芸能人の名前などいくらでも口にできたのかもしれません。
 しかし厚顔!しかし無恥!

 そう言えば昔、女性銀行員から億単位の金を引き出させた結婚詐欺師は“自分はCIAの諜報員だ”とか名乗ってしばしばデートの最中に東京中を逃げ回っていたそうです。
 ショーンKはアラバマ大学大学院くらいにしておけばよかったものを「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得、パリ第一パンテオン・ソルボンヌ大学に留学」でした。
 佐村河内守に至っては「日本のベートーベン」です。
 芸能人の年齢詐称や出身地詐称(東京出身の歌手がデビュー曲に合わせて熊本出身とか)には枚挙にいとまがありません。
 事実真実を知るかつての同級生や親せきや友人かつての仲間がこの世にいていつ発言するか分からないというのに、この人たちはなぜ怯えなかったのか、平気でいられたのか――。

 私は彼らを眩しい気持ちで見るとともに、妻についた小さなウソにも戦々恐々と怯える自分の小ささにもウンザリしています。