カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「拾遺」b〜子どもたちの危機⑪

 子どもにとって「絶望の我慢」というのは分かりやすい概念です。欲望が大人によって「ダメ」の一言で終わってしまう場合です。
 これがある程度大人だったら「ダメ」と言われたところから手練手管・深謀遠慮・権謀術策、さまざまに手を打つことができます。裏技寝技、あれこれ考えればどこかに活路は開けます。しかし子どもにはダダをこねるか拗ねるか、その程度の手段しか残っていません。それも無視されるとあとは全く方法がないのです。それが「絶望の我慢」です。

 では「希望のある我慢」とは何か。それはひとことで言えば「今望んでいるものを我慢すればもっと価値のある何かが手に入る可能性のある我慢」です。小学生くらいになれば「勉強を頑張ればゲームソフトを買ってあげる」といったありふれた方法(ありふれている割には実はとても難しい)もありますが、今、話題にしている3歳児〜4歳児に限定していえばなかなかできることではありません。

kite-cafe.hatenablog.com ものに釣られて我慢することの難しい年頃なのです。

 この年代で与えられるの最大の「価値ある何か」は「大好きな人の笑顔と最大級の称賛」に他なりません。愛犬家が犬を褒めるときのように「瞬時に」「その場で」大げさに喜び、「抱きしめ」「頬ずりして」誉めるその称賛です。
 愛犬家のようにというと抵抗のある人もいるかもしれませんが、それについては以前書きました。

kite-cafe.hatenablog.com

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 「誉めて育てろ」はそういう意味です。我慢して何かを成し遂げたら必ず誉めて意識づけせよということであって「おだててやらせろ」ということではありません。

 ところが、そういうと必ず出てくるのが「誉めるところがなかなか見つからない」とい困惑です。熱心に子どもを観ているのだけれどなかなか誉めてあげられることをやってくれない・・・。
 これには二つの答えが用意されています。

 ひとつは「誉められることをつくってあげる」。もうひとつは「他の子と遊んでいるときに注意深く観察する」です。
 二つについてはこれまでも何回か書いてきましたので、代表的なものをリンクさせておきます。

『誉められることをつくってあげる』

kite-cafe.hatenablog.com

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『他の子と遊んでいるときに注意深く観察する』

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「ジャンケンポン、カワリバンコにジュンバンコ」は子どもが生まれて最初に出会う社会規範です。これは鉄壁のルールであって何人であろうとも従う必要があります。ですから、チョキが出しにくいのでグーとパーしか出せない3歳児にわざとグーを出して負けてやるとか、チョキをつくっている間にパーの準備をするとか言った工夫は必要でも、こちらが勝った時には必ず引き下がらせなくてはなりません。小さな子だからといって容赦してはいけないのです。
 また年かさの子が3歳児を相手にして話をジャンケンに持ち込み、ゆっくり出てきたチョキを見計らってグーを出すようならその卑怯さも厳しく指導しなくてはなりません。

 私はかつてジャンケンのできない6年生に出会ったことがあります。ルールがわからないのではありません。負けてもごまかして引き下がることができないのです。そんな子に育ててはいけません。

(この稿、ここまでで終了)