カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「昭和の風景」①

 私は1953年に生まれて1973年に二十歳になりました。この53年に生まれて73年に二十歳になったというのは非常に重い意味を持ちます。なぜならそれは日本の高度成長期にほぼ匹敵するからです。
「日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの約19年間である」(Wikipedia)ということになっていますから、ほぼ完全に高度成長期の申し子といって良いでしょう。
 ただし今、自分の幼少期の写真を見るとほとんど戦前と同じですから、私の住む田舎に高度成長の雰囲気が広がるのは多少遅れたのかもしれません。都会と田舎ではタイムラグがあり、今とは違って情報や経済成長の伝播はずっと時間がかかったのです。

写真を一枚、お見せします。白黒写真です。いったいいつ頃の写真に見えます?

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 これはおよそ50年近い昔、昭和35年ごろの写真と思われます。場所は当時私の住んでいた市営住宅のすぐ裏手にある河原で、奥の左手の建物は小学校の体育館、右手のフェンスは高校のグランドになっていました。
 子どもたちがたくさん集まって何をしていたかというと、左義長の松を積み上げて、その横でお母さんたちがつくったお汁粉を食べているところです。並んだ少年たちの右から三番目、両手を顎のあたりに持って行っているのが、たぶん私です。
 たぶんと言うのは大昔のことでよく覚えていませんし、何しろピンボケですから自分でも自信がないのです。当時、写真はとても高価なものでしたから、アルバムを見てもほとんどの写真が小さいのです。今のL版の半分ほどです。それだけ小さいとピンボケでもいっこうにかまわないのです。
 

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 ついでに、こちらは母の写真です。写真の中の左にいるのが母です。今の私よりずっとずっと若いころのものですが、ものすごく古い印象があります。

 さらにもう一枚(下の写真)。
 これもとんでもないピンボケ写真ですが、小学校入学直前くらいの悪ガキ三人組です。
 右でピッチャーの構えをしているのが、私と同い年の悪ガキ「けんちゃん」。ドラえもんに出てくるジャイアンみたいな子です。左でテープのついた棒を持っているのが一つ年下の「こうちゃん」。おとなしくてとても良い子でした。そして下が私です。ドラえもんで言えば「スネ夫」という感じのポジションでした。

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(この稿、続く)