「子どもの発見(ピンク・レディ革命)」~歌謡曲考③

 「子どもの発見」はフランスの歴史家フィリップ・アリエスの造語で、18世紀までは「子ども」は存在せず、小さな大人としか意識されなかった、それが大人になるための学習期間が延びることによって《誕生》し、発見されるに至ったというものです。
 日本でも班田収授法で6歳以上に口分田が与えられますから、その段階ですでに「小さな大人」として扱われていたことが分かります。
 ただし、今お話ししようとしている「子どもの発見」はこれとは別です。

 曲のヒットがレコードの売り上げに結びつかないことに苛立っていた日本の音楽業界に1977年、とんでもない救世主が現れます。ピンクレディです。
 ピンクレディがどのくらいすごかったかというと、これはちょっと説明が難しくなります。とにかく絶後かどうかは定かではありませんが空前であることは間違いなく、彼女たちは丸二年近く1日2〜3時間の睡眠でステージに立ったといいます。
 オリコンのヒットチャートで連続9曲1位、出荷ベースのミリオンセラー連続10曲は当時の新記録で、シングルチャートにおける通算首位獲得数(63週)は不滅の記録と言われました。
 販売ベースのミリオンセラーは昭和の全時代通じて全部で43曲しかありませんが、そのうち5曲がピンクレディなのです。昭和で2曲以上のミリオンセラーを出した歌手は他には都はるみ千昌夫の2曲ずつしかありませんから、いかにピンクレディがすごかったかが分かります。
 しかもその5曲は1977年6月から78年6月までのわずか1年間に集中しており、総売り上げは632万枚。1年間の売り上げとしてこれを越えるのは、非常に特異な売り方をするAKB48を除いてはありません。

 その人気を支えていたのは若い男性たちでした。しかしここで特異な現象が発見されます。それは子どもがレコードを購入しているという事実です。実際には保護者が金を出しているのですが、子どもにせがまれれば親たちはいくらでも金を使ってくれるという事実に、業界は驚愕するのです。
 ブロマイドも飛ぶように売れる。そこで試しに文房具や衣料品に写真をプリントしてみると瞬く間に売れてしまう。そうなるともう“何でもあり”で、自転車だろうが食器だろうが食品であろうが、あらゆるものに彼女たちの写真が載せられ社会がピンクレディで埋め尽くされていきます。もはやピンクレディは社会現象であり、“ピンクレディ旋風”と呼ばれたりもしました。そして芸能界は一気にお子さま路線を突っ走り始めます。

 タレント発掘の場面でも低年齢化が進み、かつては歌手が作曲家のもとで修業をしていたはずの15歳・16歳でもどんどんデビューしてくるようになります。9歳10歳でそろそろ本格的な準備を始めないと間に合わないほどになってくるのです。
 そして芸能界は常に「お子様」を意識しながら商売をするようになります。

 私は、そのころから芸能人が一斉に“バカ”になって行ったような気がします。小学生の購買力も当てにし、小学生にも分かるメッセージを送ろうとすると、どうしても幼稚にならざるを得ないのです。彼らがかしこければ賢いほど、“バカ”になって頑張るのです。
 これは私たちのような素人にとっては、とても危険な状況でした。

(この稿、次回最終)