カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「葬儀の流儀」~地域によって異なる洋式に戸惑った話

 結婚式というのは参列者にとって大枠においてほぼ同じで、男性の場合はダブルの礼服を着て行けばまず間違いありません(たぶん)。それがキリスト教式でも神式でも仏式でも(たぶん)。ところが通夜・葬儀はそういうわけにはいきません。特に通夜に何を着て何を持って行くかは大問題です。

 まず最初に引っかかったのは数年前、関東地方に住む叔父が亡くなった時のことです。叔母にはぜひ通夜にも出席するようにと懇願されたのですがどうしても仕事が外せず、告別式のみの出席としました。普通に礼服を着て香典を持って出かけたのですが、行ってみると式自体は非常に簡素で香典など持ってくる人がほとんどいないません。聞けば普通は通夜に香典を出して告別式当日は手ぶらで参列するとい言います。むしろ通夜の方が重要らしいのです。申し訳ないことをしました。
 私の住む土地では通夜に礼服を着て香典を持って行くのは非常識も甚だしい所業です。なぜなら通夜は故人の死を受け入れられない人々が、夜を徹して故人に寄り添い、諦める儀式だからです。そんなところに喪服で香典を持って行くのは、「お前ら、なにを考えとるんじゃ、見れば明らかに死んどるじゃないか」と押しつけるようなものです。

 古代の日本には殯(もがり)という葬儀儀礼があって、本葬までのかなり長い期間、遺体を安置して別れを惜しみ、死者を畏れ慰め、復活を願って時を過ごしました。やがて遺体が傷み土に帰るのを見つめながら死を受け入れていくのです。そのためにわざわざ棺を安置する建物を造る場合もあり、これを「殯宮」(もがりのみや)と言います(それ自体を「殯」ということもありますが)。
 通夜を通して死を受け入れるという私の地方の風習は、そうした「殯」の名残かもしれません。もしくはそうした形が自然に復活したのでしょう。
 通夜の席で故人はまだ生きています。
 したがって何らかの事情で病院に行けなかった人は、このとき「見舞い」を包んでいきます。もちろん熨斗袋は紅白の水引です。
 これで下準備はオーケーと思ったらそれでうまく行かないのがこの世界です。

 4年前、一日にふたつの通夜を掛け持ちするという辛い日がありました。たまたま2時間の時間差があったので両方とも出席することにしました。はじめは学年主任としてつきあったかつての教え子で高校1年生の男の子です。
 住宅団地の少し離れた駐車場に車を置いてその子の家へと歩いて行くと、かつての保護者の一人に会います。庭仕事の途中のようです。
「あら、T先生!」と嬉しそうに声をかけた後、季節外れの私の背広にすぐに察して、表情を曇らせ「もしかしてK君?」
 私は黙ったまま頷きました。するとその女性はそそくさと家に引っこみ、すぐにまた出てきます。ちょうど手を洗って戻るタイミングです。
 K君の家に着くとその人は玄関先でエプロンを外し、腕に巻き付けるように畳んでそのまま私のあとについて入って来ました。丸っきりの作業着で線香をあげ、手を合わせて長いこと拝んでおられました。ほんとうに一刻を早く会いたかった、手を合わせたかったという感じがとても好ましいものでした。逆に、知らせを聞いて遠方から駆け付けたかつての校長先生は、参列者の中のただ一人の礼服で、こちらはむしろ気の毒なようでした。

 K君の通夜を終えてそのままの家に戻らず、次の通夜に駆けつけます。こちらは90歳近いお爺さんです。15歳と90歳、無常を感じさせる取り合わせです。
 と、そんなことを考えながらお宅に上がり、私は愕然とします。なんとそこに集まっていた人々は、ほぼ全員が礼服だったのです。距離にして十数キロ。わずかな差でも風習が違うのです。

 以来ほんとうに慎重になって、聞くことのできる人がいる場合は必ず教えてもらってから通夜には参加するようにしています。私が恥をかくのはかまいませんが遺族を傷つけることがあってはいけませんので。