「教科書の話」�A

 教科書を薄く、軽く、鮮やかにという方向はここ数十年一貫して続いてきたものです。かつてのB5判からA4判になり平面的サイズは大きくなりましたがそれにつれて文字ポイントも大きくなり、図版やイラストが大量に入ったために文字情報としてはかなり少なくなっています。小学校の教科書ではドラえもんが引き回し役をやったりしています。

 教科書が薄くなれば子どもの負担が軽くなるというのは大人の思い込みで、実はかえって難しくなります(もちろんランドセルに入れた場合の肉体的な負担は別です)。

例えば、

「1560年、織田信長桶狭間の戦い今川義元を破って天下統一の道を歩み始めました」

という文を読んで、普通の大人はあまり違和感を持ちません。なぜなら織田信長がだれか知っているからです。

 今川義元の名前は忘れても、わざわざその名前が出ている以上、信長のデビュー戦にはふさわしい大物だったろうという想像はつきます。また「関ヶ原の戦い」や「川中島の戦い」の記憶から「桶狭間」が土地名だろうということも何となく理解できます。だから違和感がないのです。しかし次の文はどうでしょう。

「阿波では三好長治の実弟十河存保と三好康俊が激しく抵抗しましたが、長宗我部元親は1579年、重清城を奪って十河軍に大勝しました」

 取りあえず「だから何?」が最初の感想でしょう。高知県もしくは四国の人でないとあまり関心のないところです。歴史に興味のある人なら三好長治や長宗我部元親くらいは知っていますが普通は「長宗我部」すら読めないでしょう。「十河存保」となるとさらに読めない。

 この文章はWikipediaから適当に引っ張ってきたものですから私にも何のことかさっぱり分かりません。十河存保も「とかそんぽ」と読めばまるで保険会社です。正しい読みは「そうごう まさやす」だそうですが、この人が何者か、私はまったく知りません。

 最初に挙げた、

「1560年、織田信長桶狭間の戦い今川義元を破って天下統一の道を歩み始めました」

に初めて出会う子どもたちも全く同じなのです。ここには「織田信長」「桶狭間」「今川義元」「天下統一」という四つの新出単語があり(というか新出単語だけで文ができており)、その意味ではまるで巻末の索引みたいなものです。これでものを覚えなければならないのですから大変です。

 ほんとうは、

「日本中の武将が戦いあった戦国時代を終わらせ、日本を一つの国にまとめようと最初に立ち上がったのは尾張(現在の愛知県)の織田信長でした。1560年、信長は東の大大名、今川義元桶狭間という場所で戦いの末に破り、全国に名を知られるようになりました」

とでも書けば、まだましでしょう。しかしできるだけ教科書を簡単に(短く)しようとすると、内容はやたらに難しくなってしまいます。

 国語や算数・数学でも事情は似ています。国語の教科書は、それを読んだだけでは何をどう学習していけばいいのかさっぱり分かりません。算数や数学は手順のしっかりした教科書になっていますが、何のためにその手順を踏んでいるのか、実に分かりにくいのです。そうした簡単すぎる教科書と児童生徒の現状との差を縮めるのが教師の仕事です。そしてその手助けとなるのが指導書と言えます。

 指導書は「教科書を教える、教え方の本」ですから、左右両極端な意図をもってつくられた教科書でない限り、検定など行わなくてもそう簡単に偏ったものにならないのです。

                                     (この稿、続く)