カイト・カフェ

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「子どもが学校に行かないと言い出した時に、親としてなすべきこと」⑥〜目を離してはいけない

 娘は結局木曜日金曜日と二日間を欠席し、15年と半年余りの皆勤生活に終止符を打ちました。
 土曜日、私は娘とともに部室に顧問の先生を訊ね、正式に退部を申し込みました。案の定、もう少し頑張ってほしい、せめてマネージャーとしてでも、といった話がありましたが、すべて私が断りました。部の中にいればまた始めたくなるのは明らかです。
「この子は看護師にしますので(当時はそう思っていました)腰を傷めるのは困るのです」
 そんな言い方もしました。
 そして娘は、2度と部員としてバレーボールに触れることはなかったのです。
 私と話をした翌日の木曜日から計4日間、娘は大半の時間を家でノンビリと過ごしたようです。それは丸一年間忘れていた生活です。そして翌週の月曜日、静かに学校に戻って行きました。娘の不登校は2日で終わったわけです(ただし体育館に入れないので、その後一カ月ほどは体育の授業は欠席したようです)。

 この経験を通して、努力家の娘は、「どんなに努力しても手に入らないものがある」ということを知りました。そして皆勤賞の呪縛からも解き放たれました(その後もしかしたら、私に内緒で何回か学校をさぼったかもしれません)。もともとあちこちに係留点を持っていた子です。部活一辺倒の生活を閉じると自然にそういうものが復活し、最終的に豊かな高校生活を終えることができました。

 私が手に入れたものも少なくありません。
 学校に行けない、体育館に入れないという心と体のメカニズムは、娘の経験を通しても理解できるものではありませんでした。しかし安全と目した子どもが危機に陥っていく過程は垣間見たような気がします。
 目を離してはいけないのです。子どもはあっと言う間に自分のあり方や関係性を組み替えてしまいます。安全だと思っていた子が一気に危うくなるのです。これは不登校ばかりでなく、非行の問題でも、あるいは心の病気についても同じことが言えます。いちいち手出し口出しをする必要はありませんが、その変化の様子はしっかりととらえていなければならないのです。
 そして子の危機に際しては、とにかく素早く、徹底的な対応をしなくてはなりません。私がやったように。

 6回に渡って「親としてすべきこと」という表題でお話をしてきましたが、これは、半分は娘の危機に気づかなかった私の失敗談であり、半分は迅速に行動した自慢話です。自慢話ですからこれまで人に語ってきませんでした。しかし今は話す必要が出てきたのです。それは現在関わっている、一組の親子のためです。

(この稿、続く)