カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「子どもが学校に行かないと言い出した時に、親としてなすべきこと」④ 〜娘を送って単身赴任の町に戻る道で

 退勤の5時10分になると私は校長先生にひとこと言って学校を出ました。自宅までは高速道路を使って約40分。着くとすぐに娘を乗せて、来た道をまたひた走りに走ります。
 戻りに40分間、娘は「ごめんなさい」「ごめんなさい」と繰り返しながら事情を話し続けます。

 娘はバレーボール部に属していました。中学校時代もバレー部で選手だったのですが、そうは言ってもほんとうに弱小チームで、練習試合で1セット取ったのが唯一の戦績です。ですから高校に行って続ける気持ちもなかったのですが、文科系の部活に入って半年足らずで、スポーツへの憧憬がムラムラと湧き上がってきたようです。そうなると都合の良い情報ばかりが集まってきます。
 高校の部活と言っても優勝を目指してキリキリとやっているようなところではない、むしろ同好会的だ。部員もやわらかい人が多く、どちらかと言うとのんびりやっている感じがある・・・。
 もしかしたら部員集めのために甘くなった情報が、娘を通して私の耳に入るころにはさらに甘くなっていたのかもしれません。私が反対したからです。
 何といっても娘の運動能力が人並み以上だとは思っていませんし、中学校での鍛え方も不十分、そして高校の運動部は中学校でそれぞれ活躍できたそれなりの人材が集まってくるところだと思っていたからです。娘が生き生きと活躍できるはずがありません。
 しかしそうしたことをじっくりと話し、相談したり説得したりするだけの時間がありませんでした。単身赴任というのはそういうものですし、価値ある話し合いや相談は“土日にまとめて”ではできないのです。娘はやがてバレー部に入り、たいへんな苦しみを味わうことになります。

「どんなに頑張っても試合で使ってもらえない。うまくないから使ってもらえないのは仕方ないけど、試合のシーズンが終わると上手な子との差がグンと開いている。
 去年の新人戦のときもそうだったし春の大会の時もそう。そして大会が終わって基礎練習になって、それから死ぬほど頑張って追いついても試合に使ってもらえないとまた離される。今年の新人戦も使ってもらえなくて、これからあの辛い基礎練習が始まるかと思ったら、もう動けなくなった」

 教師としてたくさんの子どもを見てきた私が恐れ入るほどの努力家ですから、ほんとうに頑張ったのでしょう。
 私の許可のないところで自転車通学に代えて足腰を鍛えたり、ひとり深夜ランニングで走りこんだり。とちゅうで腰を傷め、医者通いをし、家では四つん這いなって移動していた時期もあったようです。そうした日々の中で、娘は、私が信頼していた勉強だの友だちだの、生徒会だのといったアンカーを一本一本断ち切り、生活のすべてをバレーボールに集中させていたのです。
 その最後のアンカーが切られました。これでは動きが取れなくなるのも当然かもしれません。

 単身赴任の町にもどる道でその話を聞きながら、これは部活を止めさせるしかないなと思いました。それ自体は問題ありません。しかし最後のアンカーまで切ってしまった娘が、どこへ流れて行ってしまうのか、それは別に考えなければならならないことでした。

(この稿、続く)