カイト・カフェ

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「適齢期のこと」~非婚の時代④

 ひとつ言い忘れていました。

 いつだったか、テレビのワイドショーを見ていたら、
「みんなに共通する適齢期なんてありません。その人が結婚しようと思ったとき、それが適齢期です」
などと発言する人がいて、その気の利いたような言い方に、みんなが「そうだ、そうだ」と頷いていました。
 しかし違います。「その人が結婚しようと思ったとき」が適齢期であることはもちろんですが、それ以外に客観的適齢期というのが存在します。

 私はあと半月で35歳というときに結婚して36歳で上の子の親になり、4年後に第二子をもうけました。年を取ってからの結婚生活・親業ですからあまり不安になることもなく、また教員という職業柄、持っているものも多くて、子育ては迷うことなく行うことができました。言うまでもなく、“迷わない”ことと“正しい選択をする”こととは必ずしも一致しませんが。

 しかし問題もあります。単純な計算なのですが40歳で子どもを持つということはその子の成人式と定年退職が同じ年なのです。まだ子どもが大学生のうちに正規の職を解かれ、続けて働くにしても収入は激減します。おまけに昨今の学歴高度化で、特に理科系の学生の4割以上が大学院へ行ってしまいますから、そうなると最短でも定年後4年間は子を食わせて行かなければなりません。都会に下宿させ学費を払うとなると、数年間はただ資金を流出させるだけです。
 幸い私のところは2馬力(「二人の馬鹿力」ではありません)ですからさほど困りませんが、一方の親がその家の収入の大部分を背負っている家庭では、大変です。

 ところがこれが5年繰り上がるだけで状況は一変します。
 最後の子の成人式が55歳の時。これだと大学院に行かれてもぎりぎりセーフです。普通に4年生大学で終えてもらえれば57歳の時の独立ですから職業人としての最後の3年間の収入はすべて夫婦のもの。この時期の収入は生涯の最高額ですからハンパではありません。それが全部手元に残るのと、すべて吸い取られるのでは、老後に向けての気分が違います。

 もちろん20歳くらいで結婚して25歳までに子を産み終えてしまうとこの計算はさらに楽になりますが、40歳前後で子どもを何人も大学へ出すのは、それはそれで大変です。全員が地元の公立大学へといった幸運はそうは転がっていないからです。

 かくして「この年齢くらいで結婚して、そのあたりで子どももうけるとすごく便利だよ」といった年齢層が弾き出されます。それが客観的適齢期で、おそらく30歳までの数年ということになります。
 もちろん“便利だよ”というだけの話であってそこに道徳的な意味も社会的な意味もありません。しかし本質的な問題ではないだけにかえって侮れない事実で、その程度のことには逆らわず、“便利”に乗じて余った時間を本質的な問題に費やせばいいのです。

 30年以上まえの話です。およそ結婚なんかしないだろうと思っていた従姉が、かなり若い年でいともあっさりと結婚しました。あきれ顔の私に、
「女はね、結婚して自由になる面もあるの。いちど結婚すれば、だれももう“結婚しろ”とは言わないでしょ」
 そしてまるで計画したみたいに離婚してしまったのです。子も一人いました。確かにもう誰も“結婚しろ”とは言いませんでした。しかし何も言われないのをいいことに数年後、今度は5歳も年下のハンサムボーイと再婚したのですから親戚中、開いた口がふさがりませんでした。

 ある意味、結婚は大した問題ではないのかもしれません。だからあまり深く考えず、すぐに結婚しなさい、そういう意味です。