カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「退屈だから、私は結婚した」~非婚の時代②

 初任のころ勤めていた学校は職員が60人近くにもなる大校で、若い先生たちもたくさんいました。ほとんどが独身で、気ままであると同時に士気も高かったので、人より少しでも良い仕事をしようと平気で夜中まで学校で過ごしていました。しかし困るのがやはり夕食です。
 8時までに食堂に駆けこんでラストオーダーに間に合えばいいのですが、そうでないと確実に食いはぐれます。普通の商店は8時前には閉まってしまいますからパンひとつ買えないのです。そこで考えました。私が、ではなく食いしん坊の友人が、です。30年前の田舎の町にも、実は24時間営業中の場所があったのです。
 サービスエリアです。
 私などには“夜中にも営業しているところ”という発想さえありませんので考えようともしなかったのですが、食いしん坊は時に知恵者です。そして冒険家でもあります。

 彼が案内してくれた行程は、なんと授業員専用の入口から入り、建物内部には入れないのでその外の丘を駆け上がるというものです。そこに自然の通路ができていたのです。同じことに気づいた人は何人もいたようで、まるでケモノ道です。かくして私たちはほんとうに困るとその道を飢えたケモノのように何度も駆け上がることとなりました。
 それはほんとうに楽しい日々でしたが、長続きするものでもありませんでした。一人ひとり転勤によって他の学校に移り、そして一人ひとり家庭を持つようになると“駆け上がり”の人数も減ってきます。遅くまで仕事をするにしても、いったん家に帰って夕食を食べてからまた学校に来るといった人も出てきたのです。

 今、この年齢になると認めてもいいのですが、もしかしたら私が結婚したのも寂しかったのかもしれません。しかし当時の私が意識していたのは寂しさよりもむしろ“退屈”でした。
 一緒に遊んだり仕事をしたりする友だちがいなくなると、生活はどんどん単調になって行きます。教職はもちろんやりがいのある仕事ですが、それでも手馴れて来るとルーチン化する部分も少なくありません。すると日々はかなり単純で退屈なものになってくるのです。

 私が結婚したのは退屈だったから――そう言ったら妻に失礼ですから、独身生活にとことん飽きたと言ってもいいですし、10年先も20年先もまったく同じ生活をしている自分の将来が見えた気がしたからと言ってもいいでしょう、とにかく生活を変えたくなった、それが最大の理由です。

 結婚して同居を始めるとき、妻は自家用車に布団一式と大型のワードプロセッサ(そう呼ぶにふさわしい大きさでした)、そして鍋の5点セットだけを積み込んで私のところに来ました。貧乏だったからではなく、必要がなかったからです。長年の一人暮らしで私の部屋の備品はほぼそろっていました。あれもいらないこれもあると数えて行ったら、結局、持ってくるものはほとんどなかったのです。
 ですから結婚しても目に見える室内の風景はほとんど変わらず、仕事などをしていて視界の隅を変なものが横切るようになった(妻です)ことだけが小さな変化でした。

 それで生活は変わらなかったかというと、もちろんそうではありません。狭い家の中で二つの価値観が交錯するわけですからただでは済まないのです。さらに子が一人、二人と増えるにしたがて、生活の軸はさまざまに変化し始めました。

(この稿、続く)