「早期英語教育の蔭」

  評論家の内田樹が自身のブログで早期役後教育について書いています(「『英語教育論』についての再論」)。

 私の好きな評論家で著書も多く読んでいるのですが、しばしば一般的とは言えない英語を使うので困った人でもあります。その人が英語の早期教育に反対というのはちょっと意外でした(ある程度、英語の語彙が豊かでないと、彼の文章は読みにくいからです)。

 バイリンガルはプア・リンガル(内田氏はセミ・リンガルと言います)とか、日本では英語の必要性がないということ、英語が使えるのはごく一部の人でいい、皆ができるようにする教育は愚かだといった点で私と同じ考えなのですが、知らなかったともたくさんあるのでここに記しておきたいと思います。その第一は「パラシュート・チルドレン」です(これを内田は‘parachute children’といきなり書くので困る)。

 香港や台湾や韓国からの児童生徒の留学生は「いざというとき」の脱出先を確保するという政治的な目的もあるので、parachute children と呼ばれている

 香港や台湾については理解できますが、韓国でも国を脱出しようとする人々がいるのは意外でした。しかし考えてみると大統領が変わるたびに前政権の罪が問われ、事後立法も厭わない国です。現在、大統領の力に頼って地位や財産を築いる人々も、内心は穏やかでないかもしれません。英語ができるかどうかは、将来の子どもたちにとって死活問題になる可能性があるのです。

 内田の挙げた例はオーストラリアの英会話学校の話で中国本土からの留学生はいないみたいですが、別の国では中国の官僚師弟が必死に学んでいることでしょう。日本の子どもたちにもそれくらいのモチベーションがあれば、英会話への情熱も変わってくるはずです。

 第2に日本語の高度化の問題。

「恋愛」「経済」「哲学」「科学」「文学」「美術」「主観」「意識」「感性」「理性」―これらはすべて幕末以降につくられた和製漢語です。杉田玄白福沢諭吉森鴎外夏目漱石といった偉大な人々は自ら学んだ外国語を使うのではなく、大量の日本語を生産することによって東西の文明差を解消しようとした――現代のように安易に原語を振り回したりはしなかったのです。そうした素晴らしい歴史と財産を持っているのです。

 第3にピジン英語。シングリッシュシンガポールなまりの英語)、エボニクス(アメリカの黒人なまりの英語)など、方言化した英語のことです。

私はかつてアメリカ人のALT(英語指導助手)からこんなことを言われたことがあります。

「お前の話す英語は、オーストラリア人が普通に話す英語よりはるかによく分る」

 私の英語は中1並ですからかえってわかりやすかったのかもしれません。しかしそれにしてもオーストラリア人とアメリカ人の会話が単純ではないというのは驚きました。

 内田の言うとおり、そしてかつてクイーンズイングリッシュからアメリカンイングリッシュにシフトしたように、日本の英語教育が数十年先にはチャイナ・イングリッシュやヒングリッシュ(インド訛りの英語)にシフトしていく可能性がないではありません。しかしそれよりも考えられるのは、優秀な翻訳装置が開発され、同時通訳で相手国の言語に変換してしまう可能性です。英語を解さずダイレクトに翻訳するのです。そうなるともう、英語は日常会話を楽しみたい人の高尚な趣味か、翻訳機でも訳せないような特別な世界の道具でしかなくなってしまいます。

 そのようなもののために、全日本国民が血眼になることはありません。

 私は中高6年間も勉強しながら英会話ができません。しかし算数・数学は小中高12年も勉強しながら微分積分も忘れてしまっています。理科もあんなに長く勉強したのに化学式も摩擦係数も分からない――しかしそれでいっこうにかまわない。私には必要ないからです。

 英語も同じで、万民が会話できるレベルを目指すのはほんとうに愚かなこと、たくさんの子どもたちが苦しむだけです。