カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ことの始まり」〜ガン病棟より」②

 時計を巻き戻します。

 17年前の3月、私はとんでもない忙しさの渦中にいました。4月からある研究施設へ出向することが決まっていましたから、その準備と家族全員の引っ越し、それまでの学級のまとめと娘の転校手続き息子の入園手続――そうこうしているうちに担当していた学年に大量の転入があって基準を上回ることがはっきりし、3クラスの学年を4クラスに組み替えなければならないというとんでもない仕事まで飛び込んできたのです。
 毎晩遅くまで仕事をするので頭が冴えてしまい、かえって眠れないので短時間の深酒、そしてある朝、激しい咳で目を覚ますことになります。
 その翌日は一晩中の咳で飲んでいるのに眠れない。たまらず医者に行ったのですが薬で多少は楽になるものの、咳は一向に収まりません
 発熱もその他の症状もなく2週間以上も咳が続くと、さすがに“ガン”という言葉が頭をかすめないわけではありませんでしたが、多少様子の良いときもあり、かかりつけの医院でも「しつこい風邪ですね」などと言うのでいつまでも同じ医者にかかり続けていたのです。病院に行けるのは週末だけでしたし、週末は必ず自宅に戻っていたので転居先で別の医師に診せるということは考えなかったのです。あとから考えればそうやって逃げていたのかもしれません。

 ゴールデンウィークを過ぎても咳が治まらず、少し不安になったころに義理の姉が知り合いの看護師に相談し、その線から別の医者にかかることになりました。ほんとうにイヤイヤ出かけたのです。しかし医者を変えるというのは大切です。新しい医院ではすぐにレントゲンを撮って影を発見し、総合病院に紹介状を書くとわずか二日後の予約を取ってくれました。

 県内でも有数の大病院であるA病院ではさっそく持参したレントゲン写真を見、新たに2枚の写真をとり、喀痰検査の容器を渡して一週間後に来るように指示します。CTスキャナの撮影です。
 そこまでくると私の不安も本格的になって、その足で大きな書店によってガンに関する書籍を十冊近く買い込んできます。今だったら「検索しまくり」といったところですが、『超整理法』の野口悠紀雄さんですら「あんなもの全く役に立たない」といっていた時代ですから加入さえしていなかったのです。
 性格検査で私は「調べる人」ですから、こうなると徹底しています。肺がんの種類やステージ(進行度)、治療法や入院手続きなど、半分は不安から、もう半分は純粋な興味から、その十冊近い書籍に熱中しはじめます。
「医者は現在でも直接的な告知を避けたがる傾向がある。こうした場合、医者の常套的な答えはこれだ。『変形した細胞が混ざっているようです』」
 ふむふむ――というわけです。

 さて、そうして訪れた再診の日、CT撮影をした上でだいぶ待たされたあと、診察室で難しい顔をした医師と向かい合のですが、CT画像に首ききの医師はさっぱり言葉を発しません。焦れた私は尋ねます。
「どうでしょうか」
「はあ、変形した細胞が混ざっているようですね」
(このシチュエーションは黒澤明の映画『生きる』にもあった)

 翌週は肺の内視鏡です。肺に内視鏡を突っ込んで観るなど、想像もしないことでした。そこで私は死ぬよりも苦しい目に合うのです。
(ところで、ここまで書いて、死んだ経験は一度もないの「死ぬよりも苦しい目」という表現は不思議だな、と思ったりしています)。

(この稿、続く)