9月の末までに夏休みとして三日の年休を取らなければならないということで、今日は必要もないのに休みを取りました。天気の悪いこともあって庭仕事もできず、何カ月ぶりかで自室の片づけをしました。
とはいっても学校から持ち帰った何十年分もの資料や物品が投げ込まれているので十分の一の整理もできません。おいおい時間をかけてやっていくということでしょう。
しかし「必要もないのに休む」というのは何とも手持ち無沙汰なものです。後ろ暗いというか表に出にくい感じがあります。何十年も「休むのは罪悪」みたいな世界にいましたから、それが習い性となってしまったのでしょう。
もう30年も前の話ですが、初任の年、私が学校に行かなかった日数は1年間で12日、そのうち5日間は年末年始休業でしたから夏休みも含め、普段の生活の中で休んだのは一週間だけということになります。まだ土曜日の半日日課のある時代で、しかも部活はやり放題――というか、休日は部活をやるのが当たり前みたいな時代のことです。
思えばそのころも民間に勤める友人たちは、年休が消化できないとアクセクしていましたから、彼我の労働環境には隔絶のものがあったはずです。友だちはあのころもこんなふうに豊かな家庭生活を送っていたのかと思うと、嫉妬より先にまず呆れます。そんなに働いても、働くだけでは誉めてもらえませんでしたから。それも当たり前といえば当たりませです。
今の生活の方がいいと思っているわけではありません。しかしこの一事をとっても、学校社会を一般尺度で測ることは無理があるのです。「学校の常識は世間の非常識」と揶揄されることの多い職業ですが、実際、外に出ると本当に非常識な世界にいたものだと呆れるとともにもう少し何とかならないものかと改めて思ったりもします。
至高聖所――この上なく聖なるところ――皮肉を込めてそんな言葉を記しておきます。