「暗黒のクラウド」�B

 今日のクラウドコンピューティングと異なるのは、「一度入れた情報は二度と引き出せない」というどうしようもない閉鎖性です。生涯A市の教員として過ごすならまだしも、転勤で別の市町村に異動すると多くの資産が使えなくなる、そんなことが我慢できるはずがありません。

 そこで全くその通りの言い方で言うと意外な答えが返ってきました。

「先生には知的所有権という概念が全くない。例えば私が水道局の職員として勤務の時間内に書いた図面は、市の所有物であって自分のものではない。退職後それを自由に使いまわすのは市の所有物を売り渡すのと同じだ」

「そんなバカなことはない。だとしたら今日、このA市で作り上げた社会科資料は次の学校で使えないし、以前に別の市町村で作成した道徳教材は、それがどんなに優れていてもこのA市では使ってはいけないことになる、そんなことがあるはずがない」

「しかしそれが常識でしょう。ある電機会社からヘッドハンティングされた技術者が、次の会社で同じ技術を遣ったらそれは重大な企業犯罪だ。世の中そうなっているのです」

 その例があまりにもトンチンカンな感じなので私は黙りました。確かにそれはその通りなのです、しかし何かが違う。学校は企業ではないし、そんな常識を当てはめたら私たちは仕事ができない。そうである以上、私たちには私たちの主張すべき論理があるはずだ――そう思いながら、しかしアイデアもうかばず、そのただ黙っていただけです。

 今ならわかります。

 一番簡単な反論は、私たちは市町村の職員ではないということです。給与は県から支払われ、いわば市町村にレンタルされている派遣職員です。だから百歩譲って私の生み出した知的財産が私の私有物ではなく公共財だとしても、それは県に属するもであって市のサーバーに取り込んで離さないのは財産の横取りです。そう言えばよかったのです。また、私はしませんでしたがもっと勉強すれば有効な反論はさらにあったはずです。

 しかしその後、私はこの問題についてさらに勉強することもせっかく思いついたアイデアを利用することもありませんでした。ほどなくA市を離れ、その暗黒のクラウドの行く末を見ずに終わったからです。

 次に赴任したB市にはそのような計画はありませんでした。逆に、A市の動向を見てああなってはいけないということで、市教委をはじめ各学校一丸となって情報紛失を避けるというふうがありました。そしてそれからしばらくして3番目の市に移った時、その市にはすでに同様のシステムが導入されていたのでした。A市の計画よりはずっとおだやかなものでしたが、USBなどを介して仕事を持ち帰ることができないという意味では同じでした。