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「USBはなぜ失われるのか」~教員がUSBを持ち出す理由

 ベネッセから最大2070万件の個人情報が流出したと大問題になっています。日本の人口のおよそ六分の一という大変な量です。流出した内容は「郵便番号」「顧客(子供とその保護者)の名前(漢字およびフリガナ)」「住所」「電話番号(固定または携帯)」「子供の生年月日と性別」。クレジットカードの番号や有効期限、金融機関の口座情報、成績情報などは入っていないそうです。
 これに関してベネッセへの問い合わせは事実が発覚した9日だけで4500件。持ち出されたかもしれない2070万件のデータといえばおよそ500万〜700万世帯ですから、1100から1500軒に1軒の割合で電話をかけたことになります。これが多いのか少ないのか、私には分かりません。

 しかしそれにしても住所氏名年齢といった個人情報、ほんとうにそこまで重要な情報なのでしょうか。
 例えば教員は名簿や成績の入ったUSBを紛失すれば処分が下されます。校長の許可なく外部に持ち出したというだけで違反です。しかしそれほど重要視される個人情報は、子どもたち自身がゲームしたさに平気でネット上に流出させているのです。そのアンバランスは何ともやりきれない。
 子どもが間違っているといえばそれまでですが、しかし翻って、そもそも住所や氏名、さらには小中学校における学習成績といったものは極秘扱いしなければならないようなものなのか、そんなふうに思うのです。
 以上、これには結論も主張もありません。ただ違和感があるということだけを記しておきます。

 ところで、今も教員による成績データの紛失という事件は後を絶ちません。「個人情報の入ったUSBを紛失した。教委が説明し、謝罪した」といった話は毎月のように新聞紙面に載ります。学校は説明会を開いたあとで個人個人の家に謝罪して回り、市町村教委は学校にカウンセラーを派遣して子どもの心のケアを行う――個人データがなくなったことでカウンセリングを必要とする小中学生がいるという発想自体がすごいのですが、とにかくありとあらゆる手を尽くしてお詫びをする、そんなことが繰り返されています(それでいて紛失したデータが悪用されたという話はつとに聞きません)。
 校長は自分の立場が無視されたと怒り(何しろ情報は持ち出すなと繰り返し言っていますから)、教委や世論は「またか」と呆れて教員の自覚のなさに呆然とする・・・しかし誰も「なぜ教員は繰り返し情報を持ち出すのか」という問題に向かい合おうとしません。それもまた不思議です。

 なぜ教員は繰り返し情報を持ち出すのか――私に言わせればその答えは簡単です。
 他に方法がないから――それがすべてです。

 中学校の教員などは、授業をやって会議に出て、部活の指導をして職員室に戻ればもう6時半です。そこから机上を整理して残された仕事を配分すると午後7時、採点をして成績処理をするのはそれからということになります。
 もちろん夕食も摂らずにそのまま深夜まで学校で行うという方法もあります。若いころの私はそうしました。しかし家庭を持って子の養育が始まるとそうもいきません。成績処理ばかりかありとあらゆる仕事は家に持ち帰ることになります。そうしないと学校が回って行かないからです。逆に言えば、勤務時間内に成績処理などを終えるだけ十分な時間を確保しない限り、教員による情報の持ち出しは絶対なくならないのです。

 実は校長も教委もそうした事情に気づいているのですが、知っていながら手が打てません。授業時数の確保も大事、情報共有と意思統一場である会議も大切、部活も大事。だからといって超過勤務を命じるわけにも行かない。授業時数を考えると、簡単に振替休業を取ることができないからです。

 かくして不断に情報は持ち出され、しばしば事故で紛失し、多くの教員が処分されて校長たちは謝罪に駆けずり回る・・・おそらく根本的な労働環境の改善がない限り、こうした状況はなくならないのです。

(この稿、続く)