カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私、いい子よね」~そんな言葉を言わせてはいけない

 85歳の母は昼間ひとりでいることがほとんどで、冬場になってやる仕事も少なくなると、盛んに寂しがったり退屈がったりするようになりました。そこで本人の希望もあって、タカラトミーの「夢の子ネルル」というおしゃべり人形を買ってあげました。Amasonで7900円もする高級人形です。

 1600通りのおしゃべりと50曲もの歌を歌う。しかも六つのセンサーと時間経過で様々な反応をするという触れ込みです。時間が来ると「もうお休みの時間ですよ〜」と言ってみたり突然「お婆ちゃんだ〜い好き」と言って年寄りを喜ばせたりもします。音にも反応し、私たちが会話を始めたとたんに割って入り怒られたりもします(しかし怒られている自覚はないのでシュンとしたりはしません)。
 話がいつも一方的な子ですが、人の声を聴かない時間が長くなると、母にはけっこう慰めになるようで大切にしています。私には少しも可愛いと思えないのですが・・・。

 そのネルルが、先日こんなことを言ったのです。
「私、いい子よね」

 ちょうど席を立とうとしたとき背後から言われて、私は何かとても嫌なものを感じました。うまく言えないのですが、子どもの口から決して聞いてはいけない言葉を聞いたような気がしたのです。
「私、いい子よね」。どういう子どもがこんな言い方をするのでしょう。自分がいい子かどうか確認しなければならない子って、どういう生活をしている子なのだろう。

 普通の子はそんな言い方はしません。なぜならほとんどの子は家族とのコミュニケーションを通して、自分がかけがえのない存在であることを知っているからです。家族にとって自分が「いい子(大事にされるべき子)」であるなんて当たり前です。
 そしてさらに誉めてもらいたければ、「いいこと」をしたうえで「いい子でしょ?」と問えば大人は必ず誉めてくれるはずです。それでいいのです。しかし何もしないネルルが「私、いい子よね」と言えば、それはまるで自分の存在理由を問うているような響きを持ちます。私はほんとうに愛されているのか、必要とされているのか、果たして存在していいのか――。

 30年近く以前のことです。
 国語の先生が中1の私のクラスで、こんな話をされました(どういう流れでそうなったのかは知りません)。
「よく『お前は橋の下から拾われてきた』とか、『家の前に捨ててあった』とかいう話、あるでしょ。もちろんそれはウソだけど、たくさんの子がそんなふうに言われて育ってくるんだよ」
 授業が終わったあと、一人の女の子が涙をボロボロ流しながらやってきて、「さっきの話、あれ、ほんとうなのですか」と繰り返し聞いていったというのです。その子は中学一年になるまで、自分が本当に家の子なのか疑っていたのです。
 私が最初に出会った摂食障害の子です(発症したのは中2になってからですが)。

 年の離れた妹がいて、両親の気持ちがそちらに行きがちだったのは事実です。しかし特別に粗略に扱われていたとも思えません。どこかでボタンを掛け違え、その子は両親の言葉や態度から、否定的なものばかりを拾い集めて育つようになっていたのです。

 卒業させてから15年以上もたってから、その子には一度会ったことがあります。たまたまご両親も一緒でしたが、お母さんが「あの後もずっと大変だったのですよ」と小さくおっしゃいました。そしてそれからさらに10年もたった今年、毎年もらっている年賀状に赤ん坊の写真が加わりました。しかしそれですっかり安心できる生活を得たかどうかは、小さな写真と身近な文面からはわかりません。

 四半世紀前に私が救っておくべき子どもでした。