カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「永遠の0(ゼロ)」③

 戦後60年あまり、日本は対外的にもよく頑張ってきました。 

 海外に暮らしたことのある知人からこんな話を聞いたことがあります。外国にいると「日本人」であるということ自体がブランドなのだと。私たちが一流ブランドの商品をほぼ無条件で信頼するように、外国の一部では「日本人」だというだけで信頼してもらえるというのです。海外で暮らした先輩たちの努力の賜物です。

 通産省は「クールジャパン戦略」を前面に押し出し、本年度から担当大臣まで置いています(稲田朋美内閣府特命担当大臣が兼任)。そこで強力に輸出を推進しているのは日本文化そのものです。日本における近代文化、ゲーム・漫画・アニメや、J-POP・アイドルなどのポップカルチャー、日本の食文化・ファッション・現代アート・建築、武道、茶道・華道・日本舞踊など、部分的には自動車・オートバイ・電気機器などの工業製品、そのほか現代日本に関するあらゆる事物が対象となります。私たちが馴染んでいて当たり前と思っていたものが、とんでもない商品価値を持っていると分かったのです。
 そしてそれは日本に経済的利益をもたらすだけでなく、世界の日本化を推し進めます。日本やアジアが受けた“欧米化”ほどではないにしても、密かに薄く、日本が世界に広がるのです。
“モッタイナイ”や、“KOBAN(交番)”、やがては“お・も・て・な・し”や“アイム・ソーリー”が世界基準になっていきます(事実アメリカでは、事故や事件の現場で使われた「アイム・ソーリー」は自分の責任を認めたものとして採用しない、裁判において不利にならないという“アイム・ソーリー法”が広がりを見せています)。

 戦後六十有余年、日本は一貫して平和の優等生でした。この間、戦争や内戦で一人も殺さなかったのは、世界200あまりの国と地域の中で日本だけなのです(つい四半世紀前までは日本とリベリアだけ、ということになっていましたが、1989年の内戦でリベリアはその地位を失いました)。それだけでも胸を張れる話です。

 確かにいじめや虐待など問題も山ほどありますし日本人が一人残らず高い道徳性を持っているわけではありません。しかし底は高く、平均値はとてつもなく高いところにあります。
 日本は全体として非常にうまくやっている。日本の教育はとてつもなく強力に、そうした状況を下支えをしてる、それが私の認識です。

 私は先の大戦戦没者の前に、胸を張って「あなたがたの犠牲の上になりたったこの国は、しかしなかなか良くやっていますよ」と言うことができるのはそうした事情に寄ります。
「だから安らかにお休みください」

 しかし私とは正反対の考え方をしている人はたくさんいて、彼らは日本の教育はすでに滅びていると感じています。日本の子どもの学力は世界一でなければならないと考え、日本人全員が英語で日常会話ができるようになるべきだと考えるような人たちです。

(この稿、続く)