カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「永遠の0(ゼロ)」①

 旅行先の臨時バスが15分も早く駅にに着いて予定していた急行より一本早い電車に乗ることができました。ただしバスが着いてから発車まで3分。死ぬほど走って15秒で土産を決め、1分半で支払いを済ませてまたダッシュという年寄りには命がけの仕事となりました。

 そうしてようやく間に合った急行は、しかし着いた乗り換え駅で接続する特急がなく、結局は最初に予定したものに乗らざるを得なくなって待ち時間が1時間40分。もともと40分も待たされるところを、必死に走って1時間浮かせたばかりに結局それだけ余計に待たされることになったのです(やはり計画は正しかった・・・)。
 潰すにしても長すぎる時間で、しかたなく本で買い、読んでいるうちには時間になるだろうと決めて選んだのが「永遠の0」でした。

 私はめったに小説を読みません。嫌いなのではなく途中でやめられなくて仕事に差し支えたことが何回かあるからです。その点、列車の待ち時間や車内だったら大丈夫です。他にやる仕事もありません。「永遠の0」を選んだのは300万部の大ベストセラーだとか、とにかく面白いとかいった評判を聞いていたからです。
 結論から言うと確かに面白い、しかしその面白さの大半は歴史のダイナミズムに由来するもので、全体のストーリーはそう大したものではありません。登場人物の一部が薄っぺらなこともとても気になりました(特に新聞記者の高山)。

 物語は第二次世界大戦中と現代を激しく行き来します。女性ジャーナリストの弟で、生きる意欲を失った主人公が姉の依頼を受けて祖父の足跡をたどるうちに、“海軍航空隊きっての臆病者”と呼ばれた祖父の、特攻に向かうまでの真の姿を知るようになるというものです。その過程で主人公は真珠湾攻撃からミッドウェー海戦ガダルカナル島攻略から、レイテ沖海戦沖縄戦と続く、いわば敗戦史もたどります。それがダイナミックで鮮烈なのです。
 ですからこれは太平洋戦史を概観しようとする人にとって、とても便利な小説ということもできます(私も学生のころ、五味川順平の「戦争と人間」《全18巻、しかし各巻はさほど厚くはない》で15年戦争のあらましを覚えることができました)。

 また、私は卒論の関係でこの時期のことはかなり詳しく勉強したつもりですが、それでも知らなかったことがたくさん出てきます。たとえば、一般にミッドウェーの海戦で優秀なパイロットが大量に失われたと信じられていいますが、実は壊滅的なまでに人材が失われたのはガダルカナル攻略だったこと、映画などでよく見る戦闘機から発射される銃弾の筋――あれは普通の実弾ではできないので、わざわざ曳痕弾(えいこんだん)という特殊な(燃えながら飛んで行く)弾を4発に1発の割合で入れ、その光を頼りに照準を合わせたとか、あるいは飛行機は翼を傾けると横滑りを始めるため、照準は合っているのにまったく当たらないことがある、といった点です。そうした一歩踏み込んだ知識もこの本の魅力です。しかし全体を通して見えてくるもの、感じさせられるものはまた違います。

 私は戦争の話を読んだり考えたりするときいつも思うことがあります。それは「戦後の日本は、戦没者に報いるだけの国をつくったか」という問題です。私の若いころは、高度経済成長期が終わり、しばらく不況があり、それからバブルに浮かれ始めようとする時期で、とてもではありませんが死者に顔向けのできるような状況ではありませんでした。

 しかし今は違います。戦後60年以上を経て、現在の日本はかなり良くやっている、ご先祖様に恥ずかしくない国になった、そう私は思っています。しかしそれについては、改めてお話します。

(この稿、続く)