カイト・カフェ

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「アンパンマンの父」~やなせたかしさんが亡くなって思うこと

 やなせたかしさんが亡くなりました。本名は柳瀬嵩と書きます。1919年(大正8年)2月6日生まれで、享年94歳。経歴を見ると漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人とあります。田辺製薬の宣伝部にいたり新聞記者になったり、三越に就職したり。また若いころにはクズ拾いもやったようですからなかなかの苦労人です。「手のひらを太陽に」の作詞者だったことは、今回久しぶりに思い起こされました。
 長年連れ添った奥さんがいましたが子はなく、アンパンマンが二人の子だと言っていたそうです。

 私も人並みに「アンパンマン」にはお世話になり、子どもが小さなころは毎週の放送を欠かしませんでした。本もたくさん持っていました。親としては一緒に楽しんだふりをしていましたが、実際のところはあまり楽しめなかったというのが本音です。よく理解できなかったのです。

 まず、お腹がすいた子どもに、顔を千切って食べさせるというのが分からない。けっこう気味が悪い。また濡れた顔を取り替えるのはいいにしても、不要になった方の顔がどうなったか気になってしかたがない。最後まで違和感の残るキャラクタ設定だと感じていました。

 主人公のアンパンは平和な町をパトロールしているだけの非生産的な存在ですし、いざというときは「ア〜ンパンチ」とか言ってバイキンマンを殴り倒すだけの暴力主義者です。なぜこんなのが子ども向けなのか良く分からないところがありました。

 どんなアニメ、ドラマでも、たいていの場合、魅力的なのは悪役の方です。「アンパンマン」でもむしろバイキンマンの方がはるかに豊かで、毎週さまざまな発明で私たちを楽しませてくれました。性格的にも複雑で、素直さに欠けしばしばあくどいところもありましたが、孤独で心配りのできる努力家でした。

 このアニメの中でもっともどうしようもない存在はドキンちゃんです。わがままで身勝手、堪え性もなければ努力もしない、能天気で人の気持ちも分からない。そのままだと誰も相手にしてくれないところをバイキンマンに助けてもらっている。しかしそのことをまるで分かっていない。本当に分かっていない。

 バイキンマンは一人でも生きていけるのに、ドキンちゃんを一人ぼっちにできないばかりに側にいて、側にいるから二人ぼっちにならざるを得ない。別に愛しているというわけでもないのだけれど、他に誰もいない以上、自分が側にいるしかない、そんなふうに思っている。
 しかし、もしかしたらバイキンマンの存在が、ドキンちゃんをさらに反省のない、どうしようもない子に追い詰めているのかもしれません。そう思えてきます。
 こういう子たちにはどうすればよいのか。

 アンパンマンたちはまず手を差し伸べなければならないのです。ドキンちゃんをぴったりマークし、つまらないことを考えないように常に話しかけなくてはなりません。こんな子でも多くの人に愛される可能性のあることを知らせ、自分たちの中に引きずり込まなくてはならない。おそらくそうです。

 バイキンマンはあとでもかまいません。ドキンちゃんが何とかなれば、バイキンマンだって自分の生きる場所を探し始めるに決まっているのですから。
 しかしそんなことまで考えさせる「アンパンマン」。やはりキャラクタ設定のしっかりした作品であるには違いないのかもしれません。

 それにしてもいよいよ、
「降る雪や 昭和は 遠くなりにけり」
 かな?