「敵を知って」

 若いころ、勤務していた学校の教頭先生からこんなふうに言われたことがあります。

「Tさんは自分が苦労してきたから他人に冷たい。自分が乗り越えてきたからお前も乗り越えろと平気で言う。だけどそれができない子はいるんだよ」

 三分の一正しくて、三分の一は分からず、三分の一は間違っていると思いました。

 私は苦労人ではなく、むしろ坊ちゃん育ちです。自分が「他人に冷たい」かどうかはよく分かりませんが、苦労してきた人が「自分が乗り越えてきたからお前も乗り越えろと平気で言う」というのは大いにありそうだと思ったのです。

 よく、苦労した人間は人情が厚いとか、いじめられた人間はいじめられる側の気持ちがよく分かる(だからいじめない)とか、暴力の痛みを知っている子は決して殴ったりしないとか言いますが、それが本当ならかつてのニューヨーク・ハーレムなどは聖人の街になってしまいます。実際は必ずしもそうではありません。暴力は世代を越えて連鎖しますし、苦労人はしばしば冷酷で、いじめられた人間はときに社会を誤解します。

 逆に、幸福で豊かな育ちをした人間は他人の痛みを過大に評価し、それだけに異常に心を寄せるたりすることも少なくありません。

 以前お話ししたようにナイチンゲールは超の上に超がつくほどの金持で、家族にも恵まれていました。

 シュヴァイツァーは牧師の子ですが、当時のドイツは牧師の社会的地位が高く、彼の家は比較的裕福だったようです。幼いころ、同級生と取っ組み合いのケンカをして相手を組み伏せた時、下になった少年は「俺だってお前の家みたいに肉入りのスープを飲ませてもらえれば負けやしないんだ」と叫んだそうです。それが長くシュヴァイツァーの心の棘となります。この時の「同じ人間なのに自分だけが恵まれている」という想いが、彼の生涯を決定づけたのです。

「Tさんは自分が苦労してきたから他人に冷たい。自分が乗り越えてきたからお前も乗り越えろと平気で言う」

 自分はそうではないと思いながら、この言葉はけっこう心の棘となっていて、以後、不幸な子には2割増しくらいで甘くなろうとしてきました。もし私が冷淡だとしたら、2割増しくらい甘くして普通の対応だろうと思うからです。

 いずれにしろ、指導や教育は教員と児童生徒との相互関係です。「敵を知って己を知らば百戦危うからず」と言いますが、子どもの方ばかりでなく、自分の方がどういう人間か、ある程度定義しておかないと対応を誤るかもしれません。