カイト・カフェ

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「小学校英語の教科化という愚行」①

 政府の教育再生実行会議が昨日、国際的に活躍できる人材育成のために、小学校英語を正式教科とすることを柱とした提言案を大筋で了承した、というニュースがありました。来週にも安倍晋三首相に報告されるそうです。

「教科化」が具体的に何を意味するかまだ分かりませんが、統一カリキュラムの作成、教科書の使用、テストの実施と成績づけなどが考えられます。総合的な学習の時間や「道徳の教科化」を考えると、専科教員の配置はありません。担任が行います。
 現在5・6年生で行っているものをさらに引き下げること、現在の週1時間の授業数を増やすことも提言に盛り込まれています。増えた分、どの教科の授業時数を減らすのかというと、おそらくなにも減らさないでしょう。減らせる部分はどこにもないからです。英語の増加分は、おそらく土曜授業で生み出します。英語の教科化と学校6日制の復活はセットとなります。
 この「英語教科化」、私は極めて不賛成です。

 まず目的がいけません。「国際的に活躍できる人材育成のため」、要するに世界で戦えるエリートの育成のため、私や私の子どものような凡人まで苦労せよ、ということだからです。
 本来「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(教育基本法第一条《教育の目標》)とあるように、個人を前提としています。百歩譲って国家のためというなら別ですが、他の誰かのために私たち凡人までもが苦労するのはお門違いです。

 もちろんウチの子が「国際的に活躍できる人材」となる可能性がまったくないわけではありません。しかし市内を見回しても「国際的に活躍できる」場で活躍している人材は極めて少数です。単純な確率から考えればウチの子がそうなる可能性は限りなく小さい。また、私自身も子どもにそうなってほしいとは思っていない。
 子どもが真剣に願うなら別ですが、そうでなければ国内の、できれば県内の私の近くで暮らしてほしいのです。

 昨夜の「News watch 9」では「小さなころから英語に親しんで苦手意識をなくすのはいいですが・・・」とか言っていましたがそんなことはあり得ません。教科化は中学校英語に連結するものですから苦手意識を持つ年齢が3歳以上さがるだけです。世の中には算数の苦手な子、国語の苦手な子、体育の苦手な子、といろいろいるのです。英語だけが「早く始めれば苦手意識がなくなる」ということはありません。

 劇画「ドラゴン桜」の中にこんな話があります。
 高校入試、大学入試、入社試験、どれをとっても英語はもっとも重視される教科。英語の配点だけが高かったり入試科目が英語だけという大学もある。そのもっとも重要な英語が中学校から始められることは実に重要な意味がある。なぜなら小学校6年間で算数や国語にボロボロになった子も、英語だけは同じスタートライン立って一からやり直せるのだから。

 私たちは中学校1年生の4月、英語の授業を受ける子たちのキラキラした目を知っています。それを何も一握りのエリートのためにどんよりと曇らせる必要は絶対にありません。

 英語の教科化について言いたいことはまだまだあります。これについては明日も続けます。