「イヌとウサギとイワシの話」

【その壱】

「子どもを育てるのはイヌを育てるのと同じだ」と言えば人権家は眉をしかめ、愛犬家は大きく何度も頷いてくれるはずです(人権家と愛犬家というダジャレ、我ながら気に入っています)。

 私はいつぞや「犬のしつけ方」という本を読んでいる最中に、驚くべき一文に出会ったことがあります。それは犬のしつけは失敗が許されないという話です。

「人間の子は育て損なっても生きていけますが、犬は育て損なうと殺されます」

 確かにその通りで、イヌは育てそこなって人間に噛みつけば即、殺処分です。《だから人間よりも丁寧に育てましょう》といったニュアンスは、さすが愛犬家の書いた本だなあと感心したものです(もっとも犬をきちんと育てるような人は、人間もきちんと育てますが)。

 犬のしつけ方の基本は、良い行動があったときには「イヌにも分かるような」大げさな身振り手振りで喜び、誉めるということ、そして悪い行いがあったときは瞬時にその場で、強く叱責するということです。ポイントは「大げさに」「瞬時に」「その場で」です。

 イヌですからあとで「あの時はねえ」と誉めても叱っても覚えていません。人間の子だって、善悪に関わらず行ったときの感覚はすぐに忘れてしまいます。とにかく、「大げさに」「瞬時に」「その場で」誉める、叱る、それがすべてです。

【その弐】

 娘が飼っていたウサギ、マンションを替わったら飼えなくなり、私が預かっています。頭の悪い生き物で、懐かず、しつけもできません。狭いところに閉じ込めておくのもかわいそうですが、外に出して迷子になると(たぶん)絶対に帰って来れませんから、リードをつけてしっかり手元に置いておかなければなりません。ところがこのバカウサギ、ハーネス(首胴輪とも言うべき装具、これにリードの先を結ぶ)を装着するのを死ぬほど嫌がるのです。

 娘はついに諦めたと言ったのが、私の教師魂に火をつけました。親のすごさを見せつけるときです。

 取りあえず装着しなければ何も始まりませんので、私が押さえつけている間に妻にやってもらいました。二人がかりです。そして暴れるウサギを抱きしめながら庭に連れて行き、そこで放ちます。臆病者ですのでしばらくは庭の外に出ません。そのことは了解していました。

 2回目も妻と一緒にやりましたが、3回目は私一人で行いました。ハーネスが着くと外に出られることが分かってきたのです。それ以後は全く苦労なく、装着できるようになりました。

 おかげでウサギも自由に外を走り回ることができるようになりました(ひとりで行動するには未熟ですので完全な自由という訳にはいきませんが)。

【その参】

 名古屋港水族館イワシの一部が泳ぐのを面倒くさがるようになったという話がありました。イワシの群れといえばあの勇壮なトルネード泳法で、水の中を砂塵のように動き回るのが見ものです。その群れから離れ、ヨタヨタしているイワシが何匹も見られるようになったのです。

 そうした横着の何がいけないのかは分かりませんが、とにかく水族館側はイワシがしっかり泳ぐよう対策を打ったというのです。それが数匹の生きたカツオを投げ込むという方法です。

 相手は名うての捕殺者ですからもう大変。イワシたちはあっという間に本来の姿を取り戻して、勢いよく水槽の中を逃げまわっています。

 強く元気なイワシが戻ってきたわけです。

 さて、「育つ」「育てる」というのは本来そういうことではなかったか、そう私は思うのです。誉めるときも叱るときも、瞬時にその場で、大げさに。

 取りあえずやってみなければ何も始まらないから、まずやらせる(子どもは納得さえすれば何でもするというが、やってみなければ納得できないことも多いだろう)。

 とにかく動かにゃ動ける体にならん。

 そうした考え方は、古いと排斥していいものではないと思うのですが。