カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「さあ、そろそろ死ぬ日のことを考えておこうか」~死ぬ人は死ぬ、死なない人は死なない

 1年半前、父を亡くしました。86歳でした。病名は「肺がん」。最後の一週間は苦しみましたのでかわいそうなことをしました。人間、死ぬ時も健康でなければならないと思ったのはその時です。

 もちろん本人としては老衰が一番いい(楽だから)。しかし周囲のことを考えるとあまり長引くのも迷惑だから、心筋梗塞とかで一気に行ってしまうのも悪くない。もっともしっかり準備をしておかなくてあとで悪事が次々と出てくるのも困るし、あっけなさすぎるのも(私の)遺族に申し訳なさすぎるような気もする。脳溢血などで中途半端に生き残るのが一番悪い・・・と、考えているうちに、がんで死ぬのも悪くないという気になってきました。何しろ余命何か月というかたちでカウントダウンができますから、いろいろな準備ができるのです。痛みやその他の苦痛も今は緩和治療が行き届いていますから何とかコントロールできるでしょう。
 もちろん死ぬにしても若いうちはいけませんし、子育ての終わっていない人などは死ぬ権利もないようなものです。しかし私くらいの年になれば、そろそろいざという時のことも考えておくのも必要でしょう。

 がんとは何かというと、肺だの肝臓だのそれぞれ異なった細胞を「すべて『がん細胞』という何の働きもしない単一のものに変えてしまう病気」だと言えます。そのために死に至る道は3通りです。

 ひとつ目は原初の臓器をがん細胞で満たし、機能を失わせてしまう場合。
 もう一つはがんがその臓器からはみ出し、周囲の臓器もがん細胞にしてしまってそちらの機能も失わせてしまう場合(浸潤)。
 そして三つめは、がん細胞が全身に飛び散ってそこで育ち、行った先の臓器をがん化してそちらを機能不全にしてしまう場合(転移)です。

 意外なことですが、がん細胞は非常に弱く、崩れやすい性質があります。したがってひとつの臓器内で大きくなりながらどんどん崩れ、その破片がリンパ液や血液にのって全身に広がって行って行くのです。ただし多くの場合、ほとんどのがん細胞は免疫細胞によって殺されてしまい、そう簡単には育ちません。ただし運ばれる量がハンパではありませんからその中のいくつかが着床し、やがて成長を始める―それが転移です。

 がんというのは非常にミステリアスな病気で、早期発見でありながらあっという間に亡くなってしまう人もあれば、相当進んでいるにもかかわらずかなり長生きする人もいます。

 大昔の話ですが、ある女性が末期のがんで、手の打ちようのなくなった医者が「田舎に帰って、おいしいものを食べ、ゆったりと暮しなさい」と言って体よく追い出したところ、10年もたってから突然その病院に現れたというのです。院内はそれこそ蜂の巣をつついたような騒ぎです。
 医師が「今までどうしておられた?」と聞くと、
「先生のおっしゃる通り、田舎に帰り、おいしいものを食べてゆったり暮らしていた」と答えたのです。
 結局その女性は10年目の新しいがんで亡くなるのですが、その間、彼女の中で何が起こっていたかは不明です。

 私の父方の伯父は余命半年を告げられ、私もお別れを兼ねてお見舞いに行ったことがありますが20年以上たった今も九十余歳で元気です。母方の叔父は76歳でがん発見から3か月であっけなく亡くなってしまいました。

 結局言えることは、死ぬ人は死に、死なない人は死なないという、ごく当たり前のことです。