カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「この国には、バカが1万2600人」~だから安心してバカをさらしていい

 ヨーロッパの小国には外国語に堪能な人がたくさんいます。なぜかと言うと母国語だけでは生活ができないからです。

 例えば学力大国で有名なフィンランドの人口は540万人ほど(日本のわずか4・3%)で、国内市場が極端に小さい。したがって多少なりとも大きな商売をしようとすればどうしても外国に出て行くしかなくなります。

 また、人口があまりにも少ないため、外国の文物も国内に入りにくい。
 例えば1万人にひとりしか読まないような極めてマイナーな書籍(学術書など)は、フィンランドでは翻訳されません。買ってくれそうな人が540人しかいないのですから。
 必然的に大学のテキストは、かたはし英語ということになってしまいます。大学に進学したければ、外国語が相当にできなければならないのです。

 同じことは映画にも言えて、「ハリーポッター」並みのビッグ・ヒットなら十分商売になりますが、その他の映画は吹き替えにすると採算が合わなくなってしまいます。ですから映画館はもちろん、日曜映画劇場のようなテレビ映画ですら字幕スーパーということになります。

 フィンランドのように文化レベルが高く、かつ言語の世界的広がりを持たない小国は、すべてそうなのです。英語もしくはフランス語・ドイツ語ができないと、生活に支障が出てきます。だから必然的に外国語が堪能になってきます。

 ところが人口1億2600万人を擁する日本の場合は、かなり様相が異なってきます。
 先に上げたような「1万人にひとりしか読まないような極めてマイナーな本」が、この国では1万2600部も売れるのです。これだと商売になります。
 翻訳書は次々と出され、大学の授業も日本語のテキストで十分に足ります。英語なんて全くできなくても大学を卒業できるのです(そんな学生が山ほどです)。レンタルDVDを借りに行っても、吹き替えのないものはほとんどありません。「こんなわけのわからない映画まで吹き替え?」と呆れるばかりです。
(以上、ここまでが前振り)

 さて、若いころは私自身もそうだったのですが、二十歳前後の若者を見るとき、なぜ、かくも女性は自信に満ち満ちていて男の子は自信なげなのでしょう。なぜああも情けなく、みっともないのでしょう。

 分からなければ聞けばいいのにそれもできない。世の中のたいていのことは何とかなるのにいつも不安で怯えている。こんなことをして笑われたらどうしよう、誰もしないようなミスをして取り返しのつかないことになったらどうしよう―といつも震えている感じです。

 私はそういう子にはいつもこんなふうに言ってやることにしています。

 大丈夫、大学入試に受験票を忘れるやつ、レストランでたらふく食ったあとで財布を忘れたことに気づくやつ、結婚式に指輪を忘れるやつ、電車の中に自分の赤ん坊を忘れて降りてしまうやつ、そんな1万人にひとりいるかいないかというアホも、この日本という国には1万2600人もいるのだ。それだけでも“ニーズ”だ。ニーズがあるところに対応策は必ずある。

 だから自信を持って、1万2600人のバカの一人として聞けばいいのだ。
「あのぉ、こんなアホやってしまったんですけど、どうしたらいいんでしょ」

 すると相手は「うん、そんな人は前にもいた」と(言うかは分からなないけど)、何らかの方法を見つけてくれるものだ。
 それだけでいくらでも世間は渡っていける。少なくともこの国にいる間はね。