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「津波の後の第一講」~私が3・11から得たこと

「津波の後の第一講」という本があります。大学の先生たちが2011年3月11日以後の最初の講義で、学生に何を語ったのかという話です。

 ところで「体験」と「経験」の違いは、一般にこう説明されます。
「体験」とは「実際にその歴史や環境、活動や状況の中に身を置き、それに触れたり見聞きしたり、ともに活動したりすること。
「経験」はそうした「体験から得た知識、または新たな知識を与えるような体験」のこと
です。

 例えば1945年8月に生きていた人たちはみな等し並みに終戦を「体験」しましました。しかし赤ん坊も含め、これほど大きな体験にも関わらず、それによって新たな考えを得たり生き方を変化させたりということがなかった人もいます。そうした人たちは終戦を「体験」したが「経験」しなかったということです。

 ところで同じように、私たちは等し並みに2011年3月11日を体験しました。地震津波の現場にいた人とテレビでそれを観ていただけの人では「体験」の質は異なりますが、多くの人々がそれを我がこととしてとらえたはずです。そして現場にいた人たちばかりでなく、テレビのこちら側にいた多くの人たちも、その「体験」を「経験」とせざるを得なかったのです。

 私には二つの点で、大きな変化がありました。

 一つは日本と日本人に対する激しい信頼と自信です。“激しい信頼”というのは形容詞の使い方としてはおかしいかもしれませんが、そう表現するのが一番ふさわしいほどの気持ちを私は持っています。
 整然とした行動や互助・自治のふう、自分のことは後回しにしても他の人を優先させようとする気持ち、必要以上の物資を受け取らない潔さ、献身的な救助活動・・・。
 マスコミは小さなことをほじくり返して、それでも被災地では盗みがあったとか身勝手な人間はいたとか書きますが、全体として、大災害に際してこれほどすぐれた対応をした民族は、歴史上どこにもいません。少なくとも今世紀に入ってからの大被災地、四川・ニューオーリンズ・ハイチではなかったことです。

 そうした美質の多くの部分は、学校が育んできたものです。学校教育がそれを支えてきたという自信や誇り、そしてそれらを作り上げてきた諸先輩方への尊敬、それが3・11から得た最初のものです。

 もう一つの変化は教育そのものに対する私の考え方です。

 3・11以前、私にとって「教育」は、その子の可能性を探り、それを限界まで伸ばし自己実現を果たさせるというものでした。その子がよりよく生きる道筋を見つけ、力をつけ、強力に押し出そうというものです。しかし3・11以降考えが変わりました。人の役にたつ人間を育てたいと真剣に思うようになったのです。

 地震津波の現場にいた消防士・警察官・県庁および市町村役場職員、自衛隊員、その他無名の人々、大量のボランティア、そうした人々の献身的な働きを見ながら、強くそういうことを思いました。

 それは教育基本法にある
(教育の目的)第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
をもう一度まじめに考えようという試みです。

 それが私の「津波の後の第一講」でした。