カイト・カフェ

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「本当はひとに、言いたくないこと:力による指導」~子どもの認知④

 学校における体罰は絶対にしてはならないことです。なぜなら“やればクビになるから”です。教育上の必要悪だとか、「愛があるなら」とかいった話はしません。懲戒免職にならない程度の体罰といった微妙な話もしない方がいいでしょう。

 いずれにしろこんなことで他人のお子さまのために自分の家族を破滅させてはなりません。
 懲戒免職となれば退職金も消えますし年金にも響きます。おまけに教員免許も取り消されますから予備校や学習塾の講師にもなれません。そもそも「懲戒免職」と書いてある履歴書をもってどこに行けばいいのでしょう。仮に履歴書に書かなくても、学校を辞めての再就職となれば長々と説明するか嘘をつかなければなりません。

 そんなわけで学校における体罰はだめだとして、ところで家庭におけるそれはどうでしょう。

 これについて、私は本当のことをあまり言いたくない気持ちでいます。子どもがほんとうに小さなころ、しょっちゅうお尻ペンをしていたからです。特に上の女の子の場合はそうでした。

 小さな子どもを叱るときは怖い顔と強い口調で叱らなければならない、それが十分な恐怖を与えるためにも、日ごろは優しい声と暖かな表情で接していなければならない―そんな話をしました。しかしそれはずいぶん最近になって学んだことで、自分の子が小さな時には思いつきもしなかったことです。

 また、「怖い顔を〜」と言っても、それすらも通用しない時期があります。生後間もないころから、2歳くらいまでの間です。またそれ以上の年齢になっても「日常すべきことがきちんとできない」といった内容だといちいち説諭しても始まりません。たとえば歯磨きは、毎日説教してやらせるような課題ではないのです。

 もっとも、だからといっていきなりペンではかわいそうなので、私はよくカウントを数えました。「さあ歯磨きするぞ」と何度か声をかけ、それでも来ないと、い〜ち、に〜い、さ〜ん・・・」と数えるわけです。たいてい「ろ〜く」くらいで間に合ってニコニコしながら夜の歯磨きとなるわけですが、何かの遊びに夢中になっていて「は〜ち」くらいまで動けないときもあります。そして「きゅ〜う」が聞こえると、すべてを投げ出し、大慌てでビービー泣きながら走ってくることになります。そういうこともありました。

 2歳を越えてだいぶたった頃、何かの事情でお尻ペンをしたときに「痛くないモン」とか言って反抗したことがあります。もう一度叩くとまた「痛くないモン」。
 私も引くわけにいかず何回か同じことを繰り返しているうちに、「だんだん痛くなってきた・・・」。
 そしてもう一回お尻をペンしたら「ワーッ」と叫んで泣き始めました。お尻ぺンはもう終わりかなと思ったのはその時のことです。

 小さなころたくさんペンをした娘は、次第に叱られる回数も減り、小学校の低学年を終えるころには私を怒らせることもまったくなくなりました。
 しかし下の息子の方は違います。
 この子は体が弱く、泣くと酷く咳き込んで悲惨な印象になる子でした。私はそれでもいいと思っていましたが、妻は女なのでどうしても庇う側に回ります。息子を叱るうちに妻を叱ることになり、そのうち夫婦げんかに発展し・・・といったことが繰り返されるうちに、いつしか息子に対する指導はずっと甘いものになってしまいました。

 今でも姉弟の様子を見比べると、姉の方がずっと厳しい生き方をしています。弟の方ももっとお尻ペンをしておけばよかったと、本当に申し訳なく思います。

 ただし、こうした話を人に聞かれて、それを児童虐待の理由に使われてはかないません。
 ですからこれは本当は言いたくない話ですし、死ぬまで誰にも話さないつもりです。