安倍政権の教育再生のポイントは五つです。
- 6・3・3・4制を見直し、多様な選択を可能とする学制大改革。
- 9月入学などをはじめとする大学教育の見直し。
- 教育委員会制度の改革(民間人で非常勤の教育委員長がトップの教委から、常勤の教育長をトップとする教委へ)
- 子供たちが日本の伝統文化に誇りを持てる内容の教科書で学べるよう、教科書検定基準を抜本的見直す。
- 抜本的ないじめ対策
昨日もお話ししましたが、教育再生はもちろんのこと、それ以前に繰り返されたすべての教育改革においても決定的に欠けていたのは現状分析です。
- .現在の子どもを取り巻く状況は本当にうまくいっていないのか。
- うまくいっていないとして、それは学校教育のせいなのか。
- ありうべき状況は、果たして教育改革によって可能なのか。
ということです。
これを、たとえば陸上競技に当てはめてみましょう
日本は1932年の吉岡隆徳以来、ただの一度もオリンピックの陸上男子100m決勝に選手を出していません。もちろんメダリストはいません(リレーを除く)。そうした事実を前提として、
こうして置き換えてみると、そもそも陸上競技男子100mでメダルを狙って選手育成をするという目標自体が間違っていることがわかります。
男子短距離走に日本人メダリストは絶対出ないと言っているのではありません。なんといっても才能の世界ですから、突如、韋駄天のような天才が現れないとは限りません。ただしそれは「生まれる」のであって「育てられる」ではないのです。
もちろんそんなことは日本人全員がわかっていますから、短距離走に日本人メダリストが出ないことについて、日本陸連を吊し上げようとする人はいません。「なんとか決勝にまで出られるといいなあ」が分相応な願いだと、普通はそんなふうに思っているはずです。
ところが教育はそうはなりません。
試してみましょう。
1.現在の日本の大学教育は本当にうまくいっていないのか。
→おそらくうまくいっていない。ノーベル賞受賞者数はアメリカやイギリスにまったくかなわないし、世界の大学ランキングで日本はトップの東大ですら20位以下だ。
2よくないとして、それは大学のせいなのか。
→最高学府の学生の学力について、親や地域の責任を問うことはできない。したがって大学以外に責任を負わせることはできない。
3.ありうべき状況は、果たして大学改革によって可能なのか。
→アメリカやイギリスにできることが日本にできないわけがない。9月入学を実施し、大量の留学生を招き入れることによって競争を促せば、必ずベストテン以内に入れるはずだ。
とこんなふうになります。
でも本当にそうでしょうか。
(この稿、続く)