「袈裟掛けの11月」~私のつまらないこだわり

 江戸川柳に「伊達男 粋な薄着で 風邪をひき」というのがあります。ここから得られる教訓は二つ。ひとつは薄着でないと粋ではないということ、もうひとつは薄着をすると風邪をひくということです。

 

 子どもの頃はともかく、大人になってからは股引またはタイツの類は一回も穿いたことがありません。何しろ学生の頃は他人に手伝ってもらわなければ穿けないくらい細い(要するに周りの人に持ち上げてもらう)ジーンズが流行していましたので、股引など論外だったのです。

 母が、のちには妻が心配して買ってはくれるのですが、頑として拒否し続けています。何かの事故で死ぬなり病院に担ぎ込まれたりしたとき、股引を穿いていてそれを見られるようでしたら、切腹しなくてはなりません。

 

 そんなふうに着るもの身につけるもの多少のこだわりがあって守っているものも多いのですが、最近辞めてしまったこともあります。それは掛けカバンを袈裟掛けにしないというファッションルールです。これも「若いころは」の話ですが、カバンの袈裟掛けというのは美しさを放棄して合理主義だけに生きる年寄りのファッションだったのです。「粋な薄着」ではありませんが、合理主義は「粋」の「敵」で、「カッコウをつける」という言葉があるように無理しないことは美しくないことでした(という思い込みがあります)。

 

 ところが昨今は右も左も袈裟がけです。特に若い人はバッグのベルトにすぐ頭を通してしまいます。若者は一方でいつの時代もルールの破壊者ですから、「肩掛けカバンは袈裟掛けにしない」など付き合いきれないと、そんなふうに考えたのかもしれません。いつの間にか老いも若きも「袈裟掛けカバン」になってしまいました。股引と違って外から見えるものですから、こうなるとかえって片掛けの方が野暮です。仕方なく私も、最近はベルトに頭を通すようにしています。

 

・・・と、ここまで書いて気がついたことは、バックの袈裟掛けというのは、もしかしたら若者のルール破壊ではないのかもしれないということです。海外旅行に出るとひったくりを恐れて、それこそ老いも若きも袈裟掛けカバンですから、そういうものが国内に浸透したのかもしれません。そう思うとますますその気になってきました。

 

 さて、今日から11月です。調べてみると全国的に11月というのは、驚くほど行事の少ない月です。年末年始に向けて、落ち着いて日々を送れということかもしれません。校内でも、学校を挙げてのといったビッグ・イベントはありません。

 

 私も気持ちを整えてことに当たりたいと思いました。