反原発のヒューマニズムについて

 しばらく前のことですが、「福島を考える トーク&コンサート」というのに行ってきました。チケットが手に入ったから連れて行ってほしいと母が言うので、興味もなかったのですが付き合いました。

 以前にもお話したかと思いますが、私は脱原発には懐疑的です。確かに福島では失敗しましたが今後はさらに補強されるはずです。その上でなお危険だとしたら何も信じられなくなります。

 満席のエアバスA300が墜落すれば一瞬にして840人余りの命が失われます。営業時間中のスカイツリーが崩壊すれば(スカイツリータウンの買い物客も含めて)6000人ほどが亡くなることになります。しかしそうしたことはすべて必要な利益(利用者と企業の)を得るための受忍限度の中にあります。

 原発はその廃棄物の処理が決まっていないために「トイレのないマンション」と揶揄されたりしますが、火力発電所の吐き出す温室効果ガスも処理はされず、ひたすら垂れ流しているだけです。発電用のダムも全容量が土砂で埋まってしまうかコンクリートが耐用年数を過ぎたあと、どう始末するかは何も決まっていません。

 確かにやがて自然エネルギー中心の時代はくるべきですが、それまでの間、日本だけが原発は怖いからといって温室効果ガスを出し続けるのも問題でしょう。GDP世界第三位の日本がLPGや石油を買い続ければ、価格は高騰し日本経済も傾きます。そして世界の経済も冷えます。ギリシャで大量の自殺者が出ているように、経済の停滞は大勢の人間を殺します。

 だから原発は再稼働すべきだ、私はそう考えていましたが、そんな私が反原発の話を聞いているうちに不思議な感覚にとらわれたのです。それはすうっと体が運ばれて、一種幻想的な世界に入り込んでいくような感じです。

 反原発の人たちは地球に対して罪意識を持っています。私たちの繁栄と不用意のために、大地を汚し、大気を穢し、そして大量の汚染水を流すことで海を汚しました。そうしたことで私たちの未来を汚してしまったのです。

 地球を汚してしまった私たちは、それゆえに罰を受けなければならない、経済的繁栄や豊かさを犠牲にしても罪を購わなければならない、この人たちはそんなふうに感じているのです。原発は怖いからやめましょうといった、単純なものではありません。

 ただし、

 ステージ上にいた人たちはこんなふうに言います。

原発のない時代だって電化製品はいっぱいあった。それで困らなかった」

 それはたぶん昭和40年代半ばくらいのことかと思います。原発は動いていましたがまだ数はとても少ない時代です。テレビも冷蔵庫も洗濯機もありました。エアコンや電子レンジは普及していませんでしたが絶対に必要な家電ではありませんから“電化製品はいっぱいあった”は過言ではないでしょう。高度成長期の終わりの始まりのころ、日本にとって一番輝かしかった時代です。

 ただしその時代は人口が今よりも25%も少なかったのです。あの時代と同じ生活をしても電力は2割以上多く必要になります。そしてなにより、電力不足が決定的に問題になるのは家庭よりも企業なのです。

 そこが問題です。