カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「好き嫌いの話」~結局食べられないものを、どう説明するのか

 この歳で自分の問題性を親のせいにするのも情けないのですが、母が無類の料理嫌いで、おかげで私はとんでもない偏食少年でした。それもニンジンが嫌い、ピーマンがダメといった穏やかなものではなく、野菜がダメ、海産物が食べられないといった言い方なので食べられるものがごそっとなくなってしまいます。おまけに18歳で家を出て15年も一人暮らしを続けましたから、もう偏食は高まる一方で改善ということがありません。

 それで困ったのが宴会です。普段の食事なら三日続けてのカレーでも平気なので切羽詰まるということはないのですが、宴会は料理を選んで注文するわけにはいかず、おまけに海産物や野菜はいくらでも出てくるので食べられないものばかりなのです(給食は、不思議と困りませんでした。やはり口がお子様向けにできていたのでしょう)。
 さらに宴会で食べられないこと自体はかまわないのですが、とにかく3000円〜4000円と人並みに払って実質350円分くらいしか食べずに帰ってくるのですから、それはいかにも悔しい、だからと言って欲だけでは食べられない・・・そんなことが数年続きました。

 結婚した時、妻に出した条件は一つだけ、とにかく出されたものは必ず何でも食べるから、「何を食べたい」とは絶対に聞かないでくれというものです。

 幸い今日までその約束は守られていますし、また幸い妻は料理を苦にせず、学校の持ち帰り仕事をしながら何度でも台所に立って下ごしらえをするような人ですから、朝からおかずを5〜6品も並べます。結婚したての頃は苦しい面もありましたが、やはり偏食の大半は“食わず嫌い”の問題で、食べてみれば何ということはないのです。

 また年を経るに従って舌の感覚の鈍ったことが幸いしたり味の嗜好が変わったりして、今まで旨いと思ったことのない酢の物まで好きになり、海産物も平気になって食べられる食品は飛躍的に増えました。その一事を取っても、歳を取ることが幸せなのです。

 ただし、それにもかかわらず現在でも食べられないものであります。
 内臓です。
 レバーもタンも食べられません。イメージが先行して「肝臓を食べようとしている」「舌を食う」、そう思うと箸が動かないのです。

 しかしそのことを話すと必ずそれを食べさせようとする意地悪者が出てきます。それも「食べてみれば好きになるに決まっている」という親切な内臓信者で、善意からがんばってくれるのでこちらとしてはほんとうに迷惑です。気がつけば自分の皿のロースの下にレバ−が潜り込んでいるのです。

 この歳になって食べられないものがあるというのもセルフ・コントロールの効かない軟弱者みたいで恥ずかしいし、相手の親切に対しても失礼です。
 そこで嘘をつきます。
「医者に止められているので・・・」
 話が病気となると半数は口をつぐんでくれます。しかしあとの半数は容赦しません。
「そんな病気ないでしょ」とか言ってさらにレバーをかぶせます。そこで、
「実はそれプラス宗教上の理由で食べてはいかんのです」と重ねます。すると相手は、
「何の宗教よ?!」
 そこで私は答えます。
「・・・ホルモン教」

 ただしこれで許されたことは一度もありません。