カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「もうだめかもしれない」~人々が気分で学校をいじり続けている

 こんなことが長く続くはずはないと思い始めてもうずいぶんになりますが、教育問題を気分で分析するといいう風潮は何とかならないものでしょうか。例えばここ十年来言われてきた“学生の理科離れは学校教育のせいだ”といった言い方は、もうそれ自体が“理科離れ”みたいな非科学の話です。あんなのは単純で、要するに日本にいる限り理科系人間は組織の歯車で金持ちになれないという現実があるからです。アメリカを見れば、スティーブ・ジョブズだってビル・ゲイツだって典型的な理科系人間なのに超大金持ちです。これは個人の才能の問題であると共に社会システムの問題なのです。

 翻って日本を見れば、頭の良さで大金持ちになるとしたらホリエモン村上世彰のようにトレーダーになるのが一番で、頭脳とコンピュータ一台で巨万の富を生み出す、それこそ自分の能力に自信を持つ男のやるべき仕事・・・ここ十年余り、そうした社会的メッセージがビンビン発信されていました。確かに堀江貴文村上世彰はドジを踏んだ、しかしその轍さえ踏まなければもっとうまくやれるに違いない、少なくとも理科系人間として企業に吸収されるよりはマシだ・・・そんなふうに考える若者が増えても不思議はない状況がずっと続いてきたのです。

 もちろんそれとて科学的根拠のあるものではありませんが、調査・分析の能力のある、例えば大手マスメディアが、そちらの方向からものを考えようとしないのは全く理解できません。

 この点で私がいつまでも根に持っているのは、安部晋三内閣の時の「教育再生国民会議」です。まず最初に「教育再生」と言ってしまうと状況分析や原因追求の可能性はほとんどなくなってしまいます。
“死んじゃったものは今さらいじってみてもしかたない”。

 本当に死んでしまったのか、脳死状態なのか単なる一時的な心停止なのか、体の一部の壊死なのか。死んだとしてもその原因は教員の質の低下なのか社会状況なのかあるいは制度問題なのか、そういったことはまったく度外視です。とにかく何かをいじってみる。

 アメリカの企業経営はなかなかいいからそれを当てはめたらどうかなどといった思いつきで次から次へと手を打ち、教員評価やら免許更新やら、あるいは学校マネジメントなどといった本場のアメリカでも成功したかどうか分からないカンフル剤を打ちこんでますます現場を混乱させます(アメリカの初等中等教育が優秀だといった話は、つとに聞こえてきません)。もしかしたら(というよりはおそらく)繰り返される教育改革によって、ますます学校は危うくなっています。まだまだ健康な体にメスを入れ薬物を注入するわけですから良くなるはずがありません。

 一方そとからこれだけツッコまれる学校や教委も、反論するわけでも正しい現状分析をするわけでもなく、ひたすら恭順の意を示すからさらに動きは止まらない。ツッコミに対してこうしたボケた態度を取るのですからほとんど漫才です。ではどうしたら良いのか。

 最初にも書きましたが「こんなことが長く続くはずはない」、しかしいつまでもこのままだといつか破たんするしかありません。もしかしたら私たちにできることは、せめて自分たちの学校と自分たちの児童生徒が、最後まで生き残る道を探すだけのことかもしれません。