カイト・カフェ

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「反抗期は終わった」~少なくとも第二次反抗期は、この世からなくなった

たかじんのそこまで言って委員会」に最近レギュラー入りした津川雅彦さんは、二言目には「日教組が日本の教育をダメにした」といったことをおっしゃいます。しかし日教組は今や組織率26.2%。学習指導要領を無視して日本の教育を大きく動かす力など、良くも悪しくもどこにもありません。
 それは確かに組織率の高い県も影響力の強い県も過激な県もありますが、世情言われるような特異な教育を実現できる県など稀です。だから“日教組”をキーワードに日本の教育を読み解こうとする教育論を、私は信じません。
 同様に“反抗期”をキーワードに子どもの成長を読み解こうとする考えにも、私は与しません。第一次反抗期はともかく、第二次反抗期などとっくの昔になくなっているからです。

 第二次反抗期というのは、「親や教師が体現する社会の枠組みや価値体系」と「強く育ってきた子どもの自我」とが激しくぶつかり合う状況で、大人から見れば“反抗”、子どもの側から見ればいわば“革命”です。したがって大人が価値感を強制しないか、子どもたちが強い自我を持たなければ(あるいは両方同時に起これば)、第二次反抗期は起きようがないのです。
 そういう目で社会を見れば、事態は明らかです。

 これだけ世の中がお子様中心になり「自分の将来は自分で決めなさい」みたいになると、子どもは革命の対象を失います。子どもたちに被さって抑え込もうとする力があまりにも弱いのです。怒鳴ったり殴ったりやたらうるさく言って子どもに言うことを聞かせようとする大人など、今やどこにもいません(もっと巧妙になったとも言えますが)。そんな状況では社会の枠組みや価値体系の強制どころではありません。

 他方、子どもの方にも問題はあります。つい今しがた“強く育ってきた子どもの自我”と言いましたが、言っている端から「これって、あるのか?」という気になります。自我の定義は山ほどありますが簡単に言ってしまうと“自分は自分であるという強い意識”のことです。「他の人間たちと一緒くたに扱われたくない、自分は自分として尊重される権利がある」という強い自負心・自尊心・自己肯定感のことを言います。
 そう言ってみると、こちらの側からも第二次反抗期など起こりようのないことが分かります。自負心・自尊心・自己肯定感の“弱さ”、こそが現在の子どもたちの重要なテーマだからです(もちろん“強い自我”のかけらくらいはあります。“普通の子ども”と違った服装をしたり化粧をしたがったりするのはまさにそれですが、言ってしまえばその程度です)。

 もっとも現在だって、ひねくれた、可愛げのない、素直でなく、時にふてぶてしく反抗的な子はいます。しかし彼らの“反抗”は「大人の価値」と「強い自我」のぶつかり合いといった激しいものではありません。“反抗期”といった期間限定のものでもありません。小さなころからずっとわがままで、素直でもなかったのです。

 ですから親御さんが「反抗期だから仕方がない」とか「今はそっと見守って」というのはとんでもないことで、台風のように行きすぎるのを待っていても去ってくれません。指導すべき時に必要な指導をしておかないと、とんでもないことになります。保護者にはそう言っておきましょう。
*今回この文を書くにあたって、もう一度“第二次反抗期”について調べようと思って当たったらWikipediaにも書いてありませんでした。あの何でも載っている(載せたがる)Wikipediaにその項がない! 本当に“反抗期”はなくなってしまったのかもしれません。