カイト・カフェ

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「とんでもないものが、やってくるのかもしれない」~維新の会のマニュフェストを読む

 小泉郵政選挙のとき、まんまと乗せられてホゾを噛んだ私は、3年前の衆議院選挙では民主党に入れませんでした。個々の政策の具体性についてはよく分からないのですが、とにかくマニュフェストの中身が胡散臭かった。財政再建と言いながら金をばらまくという二律背反を平然と言ってのけるところが怪しすぎる、そう感じたのです。

 さて、来るべき次回の衆議院選挙で風を掴んでいるのは維新の会です。「もう民主でも自民でもダメだから橋下徹」というのは3年前の雰囲気とよく似ています。さらに“維新”だの“八策”だの、あたかも自分を坂本竜馬になぞらえている感じがそれだけでも胡散臭くて嫌です。

 ただしそんな感情論を言っていても意味がないので、とりあえず八策の中身、せめて教育に関する部分だけでも検討しなければなりません。

4.教育改革〜世界水準の教育復活へ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】

  • 自立する国家、自立する地域を担う自立する個人を育てる
  • 基礎学力を底上げしグローバル人材を育成
  • 格差を世代間で固定化させないために、世界最高水準の教育を限りなく無償で提供する。
  • あしき平等・画一主義から脱却し、理解ができない子どもには徹底的にサポートし、理解できる子どもはぐんぐん伸ばす、個人の能力を真に伸ばす教育ヘ
  • 教育行政機関主導から生徒・保護者主導へ

  もうこの6行を見ただけでウンザリです。

 教育を「生徒・保護者主導」にしてしまったら「自立する国家、自立する地域を担う自立する個人を育てる」ことなんてできないという認識が維新にはありません。「生徒・保護者主導」ということは消費行動に任せるということです。普通の消費者は国家・地域のための消費行動をとったりしません。

 「理解ができない子どもには徹底的にサポートし、理解できる子どもはぐんぐん伸ばす」にはどれだけ教育予算が必要なのか、それもわかっていません(維新の会の人々は「理解ができない子ども」の苦しさ・理解できなさが理解できないようです。この子たちへの「徹底的にサポート」は最終的には個別授業です。そのためにどれだけの教員を増やせばいいのか―もちろん言った通りにやってくだされば、それはそれでいいのですが)。

 もうひとつ。「基礎学力を底上げ」すれば人材が育つというのも幻想です。江戸時代の日本人の基礎学力(読み・書き・そろばん)はおそらくダントツの世界一でした。しかし世界をリードするような人材育成はできませんでした。鎖国のせいではありません。身分社会が競争を阻害し、学力があってものし上がるチャンスがなかったからです。競争社会が前提でないと、底上げしてもエリートは育たないのです。
「基礎学力を底上げしグローバル人材を育成」という言葉の陰には「激烈な競争社会にするぞ」というメッセージがあります。それは「理解できる子どもはぐんぐん伸ばす、個人の能力を真に伸ばす教育ヘ」にも対応します。

 さて、この維新八策は【理念・実現のための大きな枠組み】に続いて【基本方針】というのがあります。「少し具体に踏み込んだ内容」といったものです。そしてそこを見ると非常に大きな特徴があることが分かります。こうした教育方針につきものの「道徳教育の重視」といった内容が一切ないのです。あるのは学力、英語教育、ICT教育、そして障害者教育。

 そこでようやく一見破綻しているかのように見える八策が、実は極めて合理的なものであることが分かります。 

 日本の教育が抱えている大きな責務である道徳教育、この部分を落としてしまえば学校教育はずっとすっきりし、学校間(公公間・私公間)、教師間、児童・生徒間の競争も仕組みやすくなります。維新の会の描く未来の教育の姿は、そういうものなのです。