カイト・カフェ

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「魔がさす」~人が悪事に手を染める瞬間の考察

 先月末、日本IBMの元社長(63)が盗撮容疑で捕まったというニュースがありました。63歳と言えば分別盛りもとうに過ぎた年です。社会的地位も名声も金も十分にある、あとは静かにさえしていたら家族の歴史くらいには名を残せた人です。

 そう言えばこの夏、九州大学の教授(55)が2700円相当のスカーフを万引きしたという事件もありました。5月にはスーパーで計766円の食料品を万引きして懲戒免職となった大阪の教員(57)が、退職金の支給を求めた裁判で勝訴したといったこともありました。

 ずいぶん昔のことですが“ロス疑惑”で有名な三浦和義という人が、しばらく話題にならないなと思っていたら880円の雑誌の万引きで捕まって世間をあっと言わせたことがあります。その4年後にはコンビニで3600円相当のサプリメントを万引きしてまた捕まっています。

 三浦という人は根っからの犯罪者といった感じの人ですから別なのかもしれませんが、他の大学教授やら教員やら、日本IBMの元社長やらはなぜ突然そんなことをしたのでしょう。この人たちが常習の犯罪者であったはずはありません。その年齢まで一回もばれずに社会的地位を確保し続けるなどということは、およそ考えられないからです。なぜか知らないがある日突然、犯罪者となってしまった・・・。

“魔がさす”という言葉があります。「ふと悪い考えを起こす」といった意味です。しかしダイエット中に“魔がさして”甘いものを食べてしまったとか酔った勢いで“魔がさして”浮気してしまったというのと、万引きや盗撮は違います。前者が犯罪ではないのに対して、後者はすべてを失うからです。
 ところで犯罪に走る瞬間、その“魔がさした”人は何を考えているのでしょう。

 実験をしてみましょう。
 あなたが午後3時過ぎの銀行ATMの前に立ったとします。ふと見ると機械のすぐ横に、帯封をつけたままの一万円札の束が三つ置かれています。3時過ぎですから行員の目はありません。あたりを見回すと人の気配もありません。さてその時あなたはどうするか。

 それが私だったら、もちろん私は呼び出しボタンを押して銀行員に来てもらい、三百万円の札束が置きっぱなしになっている事を伝えます。それは確実なことであって絶対に自分の懐に入れたりしません。それは100%確実なことです。
 しかし同時にお金を見つけてからボタンを押すまでのそのわずかな瞬間、自分の心の中に生じたほんの一瞬の迷いを、私は見過ごすわけにはいかないでしょう。おそらく百万分の一秒ほどどうしようかと私は迷うのです。そしてその迷っている間中、私は銀行の防犯カメラのことも、置き忘れた人が戻ってくる可能性も、バレたらすべてを失うということも、自分の未来も退職金も家族のことも、一切考えることをしないのです。

 魔がさすというのはそういうことなのです。私は金銭には執着しない方ですから三百万円の魔には屈することはないでしょう。女性のスカートの中にも興味がありませんから盗撮もありません。しかし(その内容は絶対に人には言いませんが)やはり弱みはあります。その弱い部分で魔にさされたら、あるいは私の精神力が弱っていたら、今、確信に満ちている私だって人生の階段を大きく踏み誤るかもしれないのです。

 最初に挙げた例に戻れば、「還暦にもなって何を今さら」という話ではなく、もしかしたら「還暦に(またはそれに近く)なって人生に何の希望もなくなり、生きる張合いもなくなって心に空白が生まれたからこそ」その事件は起こったのかもしれません。
 その意味ではすべては正常な判断の中で起こったことではないのです。

 教員はやはり忙しすぎるのかもしれません。