夏休みに家で考えたこと�B〜ユトリロ

 この夏、ユトリロのことを少し調べました(大して熱心に調べたわけではありませんが)。若いころ好きだった画家です。そして調べる中でとんでもなく興味深い人物を発見しました。ユトリロの実母、シュザンヌ・ヴァラドンです。

 ウィキペディアによれば、ヴァラドンは1865年にフランスの地方都市ベッシーヌ=シュル=ガルタンプ(世界遺産修道院があります)で貧しい洗濯女の私生児として生まれました。1870年に母親とパリへ移り住み、10代の初めから様々な職を転々としたようです。一時期あこがれていたサーカスのブランコ乗りになったもののそのブランコから落ちて負傷したために引退し、10代後半では絵画モデルや針子をしながら生計を立てていたようです。 そのころのヴァラドンの姿はルノワールやシャヴァンヌ、ロートレックの絵画に残っています。そして当時の一流の画家たちに接することによって、彼女もまた画家を目指すようになったのです。

 1883年、18歳の時に息子モーリスを産みます。実父は誰か分かっていません(ただし彼が7歳の時に母がよりを戻していたかつての恋人が認知してくれたため、その男の姓を名乗ることにしました。それがユトリロです)。

 1886年頃、ヴァラドンは同棲していたロートレックからデッサンの手ほどきを受けます。そのデッサンを大量に買い取った上に油彩や版画の指導をしたのが“踊り子”のエドガー・ドガでした。ドガはそののち長くヴァラドンの支援者であり続けます。

 1893年、ヴァラドンはピアニストで作曲家のエリック・サティの愛人でした。しかし半年で破局。そうした遍歴の間にも彼女は着々と女流画家の地歩を固めていきます。

 1896年、資産家と結婚。しかし1909年、21歳年下の画家志望アンドレ・ユッテルを恋人にして離婚。1914年、そのユッテルと正式に結婚。

 1920年、彼女はサロンの会員となり、1932年にはパリ最大の画廊で大回顧展を開催。1937年、その主要な作品がフランス政府によって買い上げられ、後にパリ国立近代美術館に所蔵されるようになります。つまり画家としては輝かしい経歴の持ち主なのです。

 そのあいだ息子のモーリスはどうだったのか。彼は生まれるやいなや祖母に預けられて2歳で激しい癲癇の発作を起こし、長く後遺症に苦しみます。8歳で精神病院に通うようになり18歳のときにはもう立派なアルコール中毒。21歳で依存症治療のための最初の入院。彼にアルコールを教えたのは祖母でした。

 以後、生涯アルコールを手放せず、娑婆と精神病院を行ったり来たりしています。絵を描き始めたのも治療の一環として医師に勧められたからでした。

 気難しい癇癪持ち、アルコール中毒のためにしばしば暴力をふるい、わいせつ罪で逮捕されたこともある街の嫌われ者、そんなユトリロに友だちは多くありません。二十歳を少し過ぎたころ、ようやく親友と呼んでもいいような年下の友だちができますが、それも母に奪われてしまいます。前述のユッテルです。

 最終的にユトリロは母とユッテルのために城のようなところに閉じ込められ、そこで描画マシンのように絵を描かされます(もちろん閉じ込めたのは酒を飲ませないため)。

 ユトリロの生涯は調べるほどに息が詰まるようなものでした。

 ユトリロの絵を見て私たちが癒されるのは、その凄惨な境遇からユトリロ自身が癒されるために描いた絵だからかもしれません。