カイト・カフェ

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「『純愛』が難しくなかった時代の話」~夏休みに家で考えたこと③

 ドストエフスキーの「罪と罰」のソーニャ、三浦哲郎の「忍ぶ川」の志乃、古井由吉の「杳子」の杳子、この三人が、私が愛した文学上の三人の女性です。中でも「忍ぶ川」の志乃は清楚で控えめで、日本の男性なら誰が読んでも好きにならずにはいられないキャラクターです。「文学史上の理想の女性」といった企画では必ず上位に入ります。

忍ぶ川」はそうした志乃と「私」の純愛物語なのですが、今の若者にはとても考えられない美しい情景が描かれています。しかしそう言いながら、昔の若者は昔だから純愛が保てたということも言っておかなければなりません。なぜなら「忍ぶ川」の舞台は昭和30年前後、つまり売春防止法の施行前で、当時の男たちは性的なものはプロに、純愛的なものは素人にと、都合よく使い分けることができたのです。現代の男たちはしばしばそこのやりくりがうまくいきません。

 もちろん売春防止法施行以前はよかったなどといった話はしません。それは「体罰」と一緒で必要か不必要かを論じたところで絶対に昔へは戻らないからです。言ってもせんないことは考えるに値しません。ただ、昔の男の子に比べて現在の男の子たちは厄介な状況にあるということを押さえておきたいだけです。それだけです。その上で・・・。

 私が教員になった30年ほど以前には、まだ私たちの世界にも風紀の乱れの名残がありました。飲み会と言えば学校内で夜を徹して行われ、一部はそこを抜け出して女性の接待のあるような場所に行き、それも3次会4次会と続けました。翌日は午前中ずっと酒臭い先生もいましたし赤ら顔の先生もいました。職員会議は煙草をふかす先生たちの煙で「霧の中の会議」みたいな感じになっていました。

 そんな状況が1980年代半ばくらいまで続いて、そこから急速になくなっていきました。学校から体罰がなくなったのも同じ時期です。児童生徒を呼び捨てにしなくなったのも敬語で話しかけるようになったのも、すべてこの時期からのことです。飲み会は9時まで二次会はなし、校舎内はおろか敷地内も禁煙、言葉上の悪ふざけも許さない・・・総じて教員に非常に高いレベルの道徳性が問われるようになったのは、ここわずか二十数年間のことなのです。

 一方その間に社会は別の変化をしています。売春防止法以来いったん閉じられた性風俗は法律すれすれのところで順調に発展してきます。さらに近年はITの発達によって大量の性情報が「人間」を介さずに家庭に入るようになっています。写真や映像は「店員」抜きで手に入り、自分の撮影したものも写真屋抜きでプリントアウトできるようになる。しかしそれらバーチャルなものは入手できるにもかかわらず、リアルなものは教員の手から一切が遠ざけられています。それはまるで旧約聖書の中にある悪徳の町ソドムやゴモラ修道院を建てたようなもので、膨大な誘惑の中で教員は爪先立って耐えているようなものなのです。あまりにも潔癖な生活を続けている。そしてその爪先立った人たちの中から、精神のバランスを失って倒れてしまう者が出てくる。

 繰り返しますが、だから今を昔に戻せとも言いませんし、教員の私的な逸脱を認めよというわけでもありません。私たちの仲間がセクハラ事件を起こすのは無理ないというつもりも、ある程度しかたないともいうつもりもありません。
 また、だからこそ教員を厳しく監視しろとか罰則を強化せよとか、研修を重ねろとか提案するわけでもありません。

 私が今申し上げたいのは、教員不祥事の一部は、間違いなくそうした状況から生まれているのであって、決して教員の質が落ちたからではない、ということです。