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「江戸時代の岡っ引きから考える”子どもの情報”の取り方」~手下を育てる

 町奉行所というのは現在の東京都庁警察庁・警視庁・検事局・最高裁判所をひとまとめにしたようなものです。管轄は江戸市内全域です。南町奉行所・北町奉行所というので、江戸の町を南北に分けて管轄したように思われがちですがそうではありません。南北は奉行所の位置を示すだけで、実は同じ仕事を一か月ごと交互にやっていたのです。何しろ大坂夏の陣元和偃武(げんなえんぶ)で戦争が消滅してしまうと大量の武装集団(武士)が実質的な仕事を失い、全員を事務方にしなくてはならなかったのです。一年間お城の畳の心配だけをしていればいい「御畳奉行」といったふざけた役職もたくさんつくりましたし、その仕事を何人もでワークシェアするといったこともざらでした。つまり人間があぶれていたのです。

 ただし平和な時代が来ると江戸はどんどん巨大化し、奉行所はむしろ人手不足になります。江戸時代は基本的に身分制度が硬直化していて、奉行所は南北それぞれに与力25騎(与力はそう数えるのだそうです)、同心130人と決まっていて世襲されるので江戸の人口や犯罪が増えたからと言って人数を増やすわけにはいかなかったのです。

 しかし現実問題として総勢300人ほどで100万人都市の江戸の治安を守るのは不可能で、そこで同心たちは個人的な配下を持つようになります。それが岡っ引きです。正式には江戸では「御用聞き」、関八州(今の一都六県)では「目明かし」、関西では「手先」あるいは「口問い」と言いました。「岡っ引き」は蔑称で本人はもちろん公的な場では使われない言葉でしたが、時代劇ドラマの関係でしょうか、現代ではこちらの方が使われやすくなっています。

 テレビドラマ「必殺シリーズ」の中村主水は典型的な平同心ですが、見ての通りあの程度の収入で“配下を雇う”といったことはとてもできそうにありません。そこでやったのが「地域ボスの小悪事を見逃す代わりに同心のもとで働く」という取引です。こういう形で雇われたのが「岡っ引き」なのです。

 銭形平次がその岡っ引きの代表で、地域ボスだからこそ「親分!」と呼ばれたりしています。常に小銭を持っていて悪党に投げつけるところを見ると、平次の小悪事は本当に小さかったのかもしれません。庶民からこまめに「みかじめ料」と取り立てていたのでしょう。蛇の道は蛇ですから、地域の悪事には詳しかったと思われます。

 原則として十手(じって)は持ちませんが、平次のように許された場合もあります。ただし同心の十手とは異なり、十手の後ろに房を付けることはできませんでした。

(以上、前置き)

 さて、先週大津市のいじめ問題を扱っている最中「『子ども社会』は大変な量の情報を握っている。しかしそれが大人社会に上がってくることはほとんどない」というお話をしました。基本的にはそれでいいのです。しかし大津のいじめ事件や「女子高生コンクリート詰め事件」のように人の命がかかわる場合や犯罪については、情報は上がって来なくてはなりません。いわば岡っ引きのような存在が必要なのです。
 もちろん子ども社会に密告者をつくるようなものですからそう簡単に行くものではないでしょう。

 キーワードは「友のために」です。
「子どもというのはその時の気分や勢いでとんでもないところに行ってしまうことがある。だから子どもなのだ。そんな時、もしキミが止められるなら全力で止めなさい。しかしそれがムリそうだったら、手遅れにならないうちに、できるだけ早く私に知らせなさい。キミのことは絶対に誰にも言わないから」