「日本はどうなっていくのだろう」①

 大飯原発3・4号機が再稼働を始めました。その是非については良く分からないのですが、この再稼働問題の渦中で出てきた「トイレのないマンション」という考え方に少し違和感があります。

「トイレのないマンション」というのは原子力発電をすれば当然放射性廃棄物が出ることが分かっていながら、その廃棄物の完全処理の道筋がつかないまま稼働を始めてしまったという原子力行政について言ったものです。発電所から出た“核のゴミ”は、100万年たっても放射線を出すことをやめないのだそうです。その安全な処理の仕方が分からない。
 しかしそれを言うなら火力発電だって水力発電だって皆同じではないかと思うのです。

 火力発電所から吐き出される温室効果ガスについて、私たちはそれをなくす方策を持っていません。排気ガスを減らすことはできても、二酸化炭素を炭素と酸素に分離して放出する効果的な方法を持っていないのです。

 水力発電はクリーンな発電ですが、全国に400基ほどある発電用のダムの最終的処分について、何かが計画され工程が決まっているわけではありません。黒部ダムにしても150年ほどたつとダム湖全量が土砂で埋められ、ダム本体のコンクリートの耐用年数も終わります。その時その巨大な土砂とコンクリートの塊をどうしたらよいのか、何も考えないままダムはつくられ続けてきました。将来の日本人にとって、あれは大きな負担になります。
 さらについでに言えば、原子力発電所が想定を上回る津波に破壊されたように、ダムだって想定を上回る地震によって破壊されかねません。その時の被害は、少なくとも死傷者については福島第一原発の事故を上回るはずです(そんなことを言い始めると東京スカイツリーだって想定外の地震で倒壊する可能性はあり、もし営業時間中に倒れれば死者は万単位となるはずです)。

 結局のところ、私たちは自分たちの現在の繁栄のために未来を食いつぶしてきたにすぎません。しかし困ったことにそういう欺瞞を、私たちは“わかっちゃいるのに、やめられない”(スーダラ節)のです。

 大飯原発再稼働に対してあれほど強く反対していた大阪も京都も、節電目標16%と大停電の可能性におびえて結局容認してしまいました。それは無理ありません。
 節電も今年1年限りと分かっていれば皆我慢してくれますが、これから何年先もこのままだと決まれば、企業も人も一斉に関西から逃げ出します。私たちは便利な電気のない生活に戻ることはできないのです。前首相の菅さんのように「200〜300年前は柴刈でエネルギーを確保していたじゃないか」と言うのはあまりにも無責任です。

 さて、実は日本の教育はこの先どうなっていくのだろうと、そういうことを考えようとしていたのですが、前振りを考えているうちにそれだけで字数が尽きてしまいました。明日はもう少し効率よく、ものを考えていきたいと思います。

(この稿、続く)