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「不審者対策の想定内、想定外」~現実的な対応とは?

 東日本大震災以来「想定外への対応の甘さ」という言い方が繰り返されるようになりました。しかしこの「想定外への対応」というのには非常に厄介な一面があります。それは「想定外」は「想定」という“枠”の外側、つまり天井知らずなのです。

 例えば福島第一原発に押し寄せる津波の想定(最大値)は5.7mでしたが、実際に来たのは13.1mでした。もちろん6mでも想定外ですが、100mでも想定外です。200mも想定外です。

 さすがに200mの津波はないだろうと思うかもしれませんが、これまで記録された津波の最大値(溯上高)は1958年にアラスカのリツヤ湾で記録されたもので、海抜520mとされています。200mどころではありません。

 またこれは“実際に起こった津波”の最大値であって、これを越える津波が起こらないとは限りません。映画「2012」ではヒマラヤ山脈津波に飲み込まれる場面がありましたが、この場合はインド洋で起きた津波ゴビ砂漠を襲うことになります。

 そう考えると、標高950mの本校でも津波対策の避難訓練をしなくてはなりません。しかしやりますか? 「想定外への対応」ということになれば、やらざるを得ないのですが。

 2001年に大阪教育大学付属池田小学校で起こった無差別殺人も、その時点では想定外でした。教師の対応は非常に手際の悪いものでしたが、“想定外”であればやむをえません。しかしそれ以降、学校に無差別殺戮者が入り込む可能性は“想定外”ではなくなり、各校で訓練が行われるようになりました。2001年とは違うので、今度は多少なりともうまくやりおうせるでしょうか?

 おそらく多少はうまくいきます。ただし「同じような事件が起きた時」という限定つきです。なぜならすでに宅間守のような無差別殺人者が“一人で来る”という想定に縛られているからです。確信的な殺人者が2名以上で同時に襲いかかってきたらひとたまりもありません。

 1999年のアメリカのコロンバイン高校では二人の高校生が銃を乱射、教師1名と12名の生徒を殺し、24名に傷害を負わせています。
 2004年のロシア北オセチア共和国のベスラン中等学校では約30人のテロリストが1200人ほどの児童・保護者・教員を人質にとり、最後は銃撃戦となって児童186人を含む386人が殺されました。

 そうなると「想定外にも備える不審者対応訓練」とはどの程度の規模が適切なのでしょう。

 私はこれまで校内に侵入した不審者に対応したことが3回あります。

 1回は徘徊老人で、きちんと背広を着て「(ここでいえば)◯◯町の教育長だが、教育長会議があるというので来た」という例。元教員の方で、警察に保護していただきました。

 あと2回は金髪のチンピラグループの入り込み。そのうちの一回は中学校から小学校に移ったばかりの時で、「中学校からきたからこういうことには慣れているだろう」ということで私が呼ばれました。

 グランドを斜めに走って横切り、チンピラグループに対峙したら、当然うしろについてくると思った先生たちがだれも来なかったのでショックを受けました。

 想定外への対応と言いますが、想定外の果てしない可能性には対応しきれません。宅間守模倣犯が出る可能性が薄らいだ今、私たちがすべきは徘徊老人やチンピラグループへの対応、路上の声かけ事案や痴漢対応、そういったものが現実的だと思うのですが、いかがでしょう。