塩谷瞬などという俳優のことは今度の二股騒動が起こるまで全く知りませんでした。またその二股騒動自体、芸能界にはありがちで大騒ぎするほどのことでもないと思っていたのですが、やがてテリー伊藤だの泉谷しげるだのといった大御所が大真面目でけなし始め、芸能人のスキャンダルで同じ芸能人からここまで言われる人も珍しいなあと、ここまでは目の隅に留めていました。ところがここにきて昔のインタビュー記事が掘り起こされ、俄然、心が動かされました。
それによると塩谷が物心ついたころにはすでに両親は離婚しており、母の名も連絡先も知らなかった。父親も仕事に忙しく、家ではいつも一人だったと言います。小学校3年生くらいまでは不登校状態。菓子やカップラーメンが主食で栄養不足のため路上で倒れてしまう。“生きるため”に働き始めたのは小学4年生の時、最初は新聞配達やスーパーの掃除の手伝い、中学に入ると土木作業もやるようになった――。
本人の語ったことですからどこまで本当かわかりませんが、話半分にしても、話三分の一だったとしても、苦しい半生だったことは事実でしょう。
それで思い出したのが保阪尚希という別のタレントさんです。私はこの人がデビューした当時のインタビューを、印象深く覚えています。それによると保阪が7歳の時、「両親は二人で車で出て行ったきり、そのまま帰らなかった、妹と二人で残された」――。交通事故で亡くなったとその時は説明していましたが、のちになって実は自殺だったと改めて告白しました。
そのインタビューを聞いたとき、私はとても同情したのです。線が細く、ナイーブな感じの青年で、とても好感を持ちました。しかしその後の彼を見ていると、本当につまらない男です。
明日、5月12日は「ナイチンゲール・デイ」。フローレンス・ナイチンゲール(1820―1910)の誕生日です。彼女はイギリスのジェントリ(貴族の下の位の有産階級)の娘で、両親が3年越しの新婚旅行の最中、イタリアのフィレンツェ(英語読みでフローレンス)で生まれたことからその名がつけられました。
幼少の頃から美貌と才能に恵まれ、また学問好きの父親にふんだんに教育を与えられたために知性の面でも磨きがかけられています。したがってWikipediaでも「イギリスの看護師、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の生みの親」と紹介されたりしています(特に統計学者としての才能はすごかったらしい)。しかしそれは30歳を過ぎてからの話であって、それまでは全く働かず、社交界で生きていた人です。
「人間、苦労しなければだめだ」という言い方がありますが、それは一定の条件・状況のもとでそうなのであって、何もむやみに苦労すればいいというものではありません。
塩谷や保阪の成育歴には本当に同情すべきものがあり、いま近くにいたらすぐにでも駆け寄って抱きしめ、助けてあげなければならないような子なのですが、育ちの悪さはいかんともしがたいものがあります。人間的には首を傾げざるをえません。
ところが逆に、鼻持ちならない社交界からナイチンゲールのような聖女が現われてくる。子どもの頃恵まれていた人たちは、他人の不幸を実際より大きく見積もる癖があるようです。
やはり子どもは少なくとも子供である間、多くの人から愛され、幸せな育ちをしなくてはなりません。苦労なんて、大きくなってからすればいいのです。
しかしだれにも愛されず育つとしたら、愛情に恵まれないみじめな子たちには、私たちが救いに行かなくてはなりません。