カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ゴールド・ラッシュ」~サンフランシスコ・49ers(フォーティーナイナース)の猛ラッシュ

 私はたぶん見るスポーツとしてはアメリカン・フットボールが一番好きなのだと思います。若いころは夜の仕事をしていたので(と言っても学習塾)夜中にアパートに帰って見るテレビと言えば懐かしの名画劇場といった古い映画か、アメリカン・スポーツくらいしかなかったのです。

 最近は継続して戦績を追うということもなくなりましたが、それでも日本のライス・ボウル(日本の大学チャンピオンと社会人チャンピオンの決勝戦。ボウルはサラダ・ボウルなどのボウル、転じて円形競技場のこと)とスーパー・ボウル(アメリカ・プロ最強チームを決める)の時期になると、少しは気になります。

 そのスーパーボール出場権をかけたプレー・オフで、土曜日にとんでもない試合がありました。ニューオーリンズ・セインツとサンフランシスコ・49ers(フォーティーナイナーズ)の試合なのですが、最終盤で49ersがリード。それを残り4分でセインツが逆転(24-23)、ところがあと2分11秒というところで49ersが再逆転(24-29)、それで済まずに残り40秒でセインツも再逆転(32-29)。もはやこれまでかと思った残り14秒で49ersが再々逆転(32-36)、それで勝負が決まりました。

 双方合わせて1時間でとった68点うち、なんと28点が最後の4分間なのです。本来は10ヤードずつ刻んでボールを運ぶ競技ですから、そんなに簡単に点は入らないのです。
と、興奮してしゃべっても興味のない人にはさっぱり面白くない話ですが、私が話したいのは実はそんな試合経過ではなく、サンフランシスコ・49ersというチーム名そのものについてです。

 この49ersというのは日本語に訳すと「49年組」とも言うべきもので、1849年にアメリカ西海岸に渡った人々のことをいいます。サンフランシスコ49ersはその人たちの開拓者精神と冒険心にあやかろうとしてこの名前をつけました。

 ことの発端は1848年1月24日にカリフォルニアのアメリカン川で砂金が発見されたことにあります。最初、砂金の発見は秘密にされましたが、3月には西海岸の新聞社に知れ、8月には東海岸の新聞記事にもなり、12月に議会で正式に発表されると、翌1849年には一年間に9万人という人々がカリフォルニアに殺到します。いわゆるゴールド・ラッシュです。最終的には30万人が移動してカリフォルニア州は州に昇格し、小さな開拓村だったサンフランシスコは新興都市に成長し、カリフォルニア中に道路、教会、学校および他の町が建設されました。

 これを日本に当てはめてみると天保の改革(1841)とペリー来航(1853)の間、というところです。ゴールド・ラッシュはアメリカ人ばかりでなく、ヨーロッパ人や中国人を巻き込んだ一大センセーションでしたが、そうした事情によって日本人は間に合いませんでした。ただ一人、ジョン万次郎のみが日本に戻る資金稼ぎに、カリフォルニアの鉱山に金を掘りに行っています。

 今日、1月24日は「ゴールド・ラッシュの日」です。

 しかしそれにしても、1848年1月に金が発見され、東海岸の人が動き出すまでに1年近くもかかったというのは、現代ではとても考えられないことです。
 そんなすごい情報ですら非常にゆっくりと流れていた時代です。