遠くて近いトルコ

 一昨日の産経新聞に、「『日本人を見習いたい』被災者らが助け合い 略奪も発生せず」という記事が出ていました。それによると、

 多数の死傷者を出したトルコ東部地震被災地では避難生活を送る人々がお互いに助け合い、落ち着いた行動を呼び掛け合っている。「日本人を見習いたい」。東日本大震災で注目された日本人の忍耐強さ、秩序を守る姿勢が教訓となっている。

 多くの建物が倒壊、損壊するなど大きな被害が出たエルジシュ。千人を超す被災者がテント生活を送る競技場では、食料配給を求める人々が整然と列をつくっていた。割り込む人はおらず、妊婦に先を譲る姿も。

 物資が不足しているとされる被災地のワンでも商店で略奪などは発生していない。

「昨晩、みんなで震災後の日本人の姿勢を見習わなければいけないと話していたんだ」。25日午後、エルジシュの競技場で、一家7人でテント生活を強いられている被災者の一人、イザット・アカーンさん(46)が打ち明けた。(共同)

 ホントかよ、盛ってない? と言いたくなるような記事ですが、これがトルコである限りは信じられます。というのは、トルコという国は伝統的に日本が大好きだからです。その好感を考えると、日本のトルコに対する態度はほとんど冷酷といってもいいくらいです。

 なぜこれほどまでに好意をもたれているのかというと、それは今から150年も前の「エルトゥールル事件」の記憶が消えていないからです。

 1887年に日本の皇族がオスマン帝国(現トルコ)を訪問したのを受け、1890年6月、トルコの軍船エルトゥールル号は初の使節団を乗せ、横浜港に入港しました。三ヵ月のあいだ両国の友好を深めたあと、エルトゥールル号は日本を離れたのですが、帰路、台風に遭い和歌山県の串本沖で沈没してしまいます。

 この遭難では乗組員600人近くが死亡しましたが、約70人が助かりました。大島の島民が助けたのです。

 通信機関も救助機関もない離島のことで、救助は至難を極めたようです。怒涛をかいくぐって瀕死の船乗りを引き上げると、村民は人肌で遭難者を温め、精魂の限りを尽くして助けたといいます。

 さらに非常事態に備えて貯えていた甘藷や鶏などの食糧の一切を提供し、彼らの生命の回復に努力しました。そして二十日後、寄せられた多額の義捐金とともに、遭難者たちは日本の軍艦でトルコに帰還します。

 この話は歴史教科書にも載せられ、トルコ人なら誰でも知っている物語となっています(日本人はほとんど知らない)。

 1985年3月17日、イラン・イラク戦争さなか、イラクサダム・フセインは「今から48時間後、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と世界に発信しました。このとき諸般の事情により、日本政府はイラクに救援機を送ることができませんでした。

 その代わりテヘラン空港に残された215人の邦人を救いに行ったのが、トルコ航空の2機の救援機でした。二機が避難民を乗せて成田に向かったのは、タイムリミットのわずか1時間15分前のことです。トルコ国内では、150年前の返礼として当然のことだという世論があったようです。

 ある人の話では、海外にいると「日本人」ということ自体がブランドで、それだけで現地の人に信頼してもらえるのだそうです。そこには大島の村民のような無名の人々の、たゆまぬ努力があったのです。