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「”グローバル社会を生きる力”とは何か」~結局、エリートの話

「グローバル社会を生きる力」という言葉がいつごろから教育の世界に入り込んで来たのか、ちょっと記憶がないので調べたら、近いところでは新指導要領の基盤となった中央教育審議会「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(平成19年)に、“満載”という感じで載っていました。150ページのこの答申の中に「グローバル」という言葉が実に12回も出てくるのです。その最初はこうです。

 21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」(knowledge-based society)の時代であると言われている。(中略)このような知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなどの知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させるとともに、異なる文化・文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。

 21世紀は新しい知識・情報・技術が飛躍的に重要性を増す時代であり、こうした知識基盤社会化やグローバル化は、知識や人材をめぐる国際競争を加速させるとともに、共存や国際協力の必要性を増大させると、まず定義します。

 そして、
 グローバル化の中で、自分とは異なる文化や歴史に立脚する人々と共存していくためには、自らの国や地域の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けることが重要になっている。
といったことになり、そこから日本の文化や愛国心の話が出てきます。それはいいのですが(あまり良くない面もあります)、私には他にとても気になる部分がいくつかあります。それは次のようなものです。

  • 国際社会で活躍する日本人の育成を図る上で、我が国や郷土の伝統や文化を受け止め、そのよさを継承・発展させるための教育を充実することが必要である。世界に貢献するものとして自らの国や郷土の伝統や文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けてこそ、グローバル化社会の中で、自分とは異なる文化や歴史に敬意を払い、これらに立脚する人々と共存することができる。
  •  社会や経済のグローバル化が急速に進展し、(中略)人材育成面での国際競争も加速していることから、学校教育において外国語教育を充実することが重要な課題の一つとなっている。国際的には、国家戦略として小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。
  • 知識には国境がなく、グローバル化が一層進む「知識基盤社会」の時代にあって、学校教育において外国語教育の充実が求められており、小学校段階において、新たに外国語活動(仮称)を導入する必要がある。

 つまりここで考えられているのは「国際社会で活躍する日本人」であり、「世界に貢献するもの」なのであって、私のような「普通の市民」ではありません。また、小学校英語は個人の幸福や自己実現とは無関係で、国家の要請なのだということが語られています。
 グローバル社会、社会のグローバル化という言葉を目にしたときは、それらがこうした文脈で語られていることを忘れてはなりません。舞台は国際社会であり、対象はそこで活躍する日本人なのです。
 どんなにグローバル化が進もうと、私たちの地域にイタリア人やフランス人が溢れることは絶対にないし、私たちの教え子の大部分は私たちと同じように英語ができなくてもほとんど困らない生活を生涯に渡って送ります。
 しかしだからといって日本の伝統や文化、地域社会に関する学習や小学校英語をおろそかにしていいという話にはなりません。

 すでに目の前にある以上、そうした学習をどう私たちの子どもの幸福につなげていくか、それを考えた方がよほど生産的なのですから。