ちょっとした用があって2年生の教室に入ったら、その前の時間の社会科の板書がそのまま残っていました。テーマは田沼時代と寛政の改革です。1時間の授業でこの二つをあつかうのはいかにもたいへんで、覚えなければならない歴史用語だけでも10以上あります。歴史用語ですから理解して覚えなければ意味がありません。
しかしこれはけっして中野先生の罪ではありません。実際にそのペースでやっていかなければ間に合わないのです。社会科の内容は何年も前からオーバーフローで、「とにかく分からなくても分かったことにして頭に詰め込んで」いくことになっています。
例えば(黒板の中にあったのですが)
「田沼意次は株仲間を奨励しその代わり税を取ろうとしたが、商人との関わりが増える中でワイロが横行し政府の信用は失墜した」
この意味、分かります? いちおう生徒も分かるみたいですが、「株仲間を奨励するとワイロが横行する」という因果関係は一切説明されません。説明していると授業が終わらないからです。
ただしここでは説明してみましょう(授業ではありませんから)。
株仲間というのは基本的には私的カルテルです。独占的な同業者組合で“株”と呼ばれる権利を持っています。
例えば酒類販売の株仲間があってその株数が5だとすると、地域ではその5人しか酒の販売ができません。こうなると価格協定でも販路割り当てでも何でもアリです。また、それを政府が公認するというのは6人目の種類販売業者が出てきた場合、これを取り締まってくれるということです。代官はいわばカルテル(株仲間)の守護神なのです。
さてここで株を持たない米問屋の越後屋が、余剰の資金を使って自分も酒類販売に乗り出しそうと考えます。とにかく合法カルテルは儲かります。しかしそこには越えるべきハードルが二つあって、ひとつには“株数は5”と決まっているから、誰かが手放すか死んでくれない限り株は浮いてこない、そして仮に浮いてきたとしても、それが自分の手に落ちるとは限らないということです。
そこで越後屋は代官に近づき、接待とワイロで篭絡にかかります。ただし代官は言います。「だがいくらワシがその気になっても、“株”が浮いてこなくては話にならんではないかのう越後屋、グワッハッハ」
そのころ、夜の江戸の街でひとつの事件が起きています。酒販売の株仲間の一人、近江屋が辻斬りに襲われるのです。
「近江屋だな」と確認した侍が刀を抜いた瞬間に手代が腰を抜かし、そのとき落とした提灯が赤々と燃え上がって白壁に辻斬りの場面をシルエットで映し出します。そのあと手代は「ヒエーッ」とか言って脱兎のごとく現場を走り去ります。
やがて、越後屋の接待を受けている代官のところにもその知らせが届きます。
「どうかされましたか」と越後屋。
「ウム、今夜近江屋が辻斬りに殺されたそうだ」。
すると越後屋はすかさず黙って菓子箱を差し出し、代官はそれをゆっくりと持ち上げると重さを計って・・・
「越後屋、おぬしもワルよのう、グワッハッハ」
と、こうなるのです。
映画の一場面をビデオに撮ってそれを教室で見せ、数人の生徒に役を振って辻斬りだの接待の場面だのを何組か演じさせ・・・そんなことをすれば生きた知識として確実に身につくのに、私たちはしません。だってそんなことをしていたらあっという間に1時間は終わってしまうからです。
印旛沼・手賀沼開拓だって長崎貿易の奨励だって全部面白いのです。
長崎貿易で奨励された俵物(これも教科書に出てきます)、煎海鼠(いりなまこ)・干鮑(ほしあわび)・干貝柱(ほしかいばしら)の乾物三品なのですが何でこんなものが莫大な利益を生み出したのか、それもやっておけば楽しいに決まっているのですができません。社会科は最初から詰め込むようにできているのではないかと思うのはこういうときです。