選択肢のないことの強み

 先月号の雑誌「文芸春秋」に岩手・宮城・福島の三県でたった二つだけ、死者・行方不明者が実質的にゼロの自治体があるという記事が出ていました。

 ひとつは岩手県普代(ふだい)村、もう一つは同県洋野(ひろの)村です(実際は普代村で船を見に行った人が一名亡くなっていますが)。しかしその原因は真反対です。

 普代村の方は高さ15・5mの防潮堤に守られたうえに、川を300mも溯ったところにやはり15・5mの水門を立ててあったのです。なぜ15・5mかというと明治の津波が15・2m、昭和の大津波が11・5mだったからです。

 防潮堤の方はともかく入江の奥深く300mのところにつくる水門には反対も多かったそうですが、当時の村長が「二度繰り返されたことを三度起こしてはいけない」ということで強硬につくってしまったのだそうです。

 実際に訪れた津波は21・5mで予測を6mも越えてしまいましたが、減衰効果は大きく、住宅地までは届きませんでした。ちなみに水門が耐えられる計画水位は21・61mなのでぎりぎり助かった計算になります。震災後、村の人々は元村長に感謝して墓参りに訪れたといいます。

 洋野村の事情はこれと異なっています。こちらの方は防潮堤そのものがなかった、だから津波警報が出るたびに必ず全員が高台へ逃げてきたのです。今回もこうして全員が助かっています。

 両者の共通点は何か?

 それは選択肢がない(もしくは選択する必要がなかった)ということです。

 それで思い出したのがなでしこジャパンです。その精神性については以前にお話しましたが、戦術的にはやはり「選択肢のない」ことが強みだったといいます。

 フィジカルに優れるアメリカやドイツの選手の場合、例えば前線の良いところでパスを受けた場合、いくつかの選択肢が生まれます。そのままドリブルで強行突破するか、逆サイドに大きく蹴り出して仲間の到達を待つか、細かくパスを繋ぐかといった選択です。

 ところがなでしこにはそれがない。足が速く体の大きな外国人選手を相手にするのに、細かいパスを繋ぐという戦術以外まったく通用しないというのです。したがって迷いがない。決断が圧倒的に早くなるというのです。

 良く分かる話です。

 通常、私たちは選択肢が多ければ多いほど有利だと考えがちですが、これらの例はそれが真実ではないことを示しています。特に瞬時の判断を求められる場面には選択肢は少ないほど有利なのです。

 釜石の「津波てんでんこ」も考えてみれば問答無用の四角四面です。逆に石巻の大川小学校は避難場所を裏山と橋とで迷っているうちに無駄に時間を過ごしてしまいました。

 結果論ですが、避難場所は橋でも良かったのです。そこからなら津波が溯って来るのが見えたはずだからです。