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「プリントゴッコの話」~教師を助けようとした、企業の危機を救った機器

 膨大なインターネットニュースの片隅に「RISO、『プリントゴッコ』事業を完全終了」という記事が出ていました。

 RISO(理想科学工業)は、同社が1977年より展開してきた家庭用印刷機器「プリントゴッコ」の関連事業を、2012年12月28日をもって、全て終了すると発表した。

 本体はすでに2008年に販売終了になっていましたが、消耗品の販売などは続けていたようです。そしてそれも終わるわけです。

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 プリントゴッコといっても若い人には分からないでしょう。それは孔版印刷といって原紙に空けた小さな孔からインキを浸み出させて印刷する、やりかたとしては30年前の学校には必ずあったガリ版印刷と同じものです。しかしプリントゴッコの素晴らしさは、その原版づくりをカメラのフラッシュで一瞬のうちにやってしまうところにありました。自分の書いた原画を原紙の上に乗せ、スイッチ一発でランプを燃やすと原版ができあがったのです。

 

 そこに専用のインクを乗せ、はがきに押し当てるときれいなカラー印刷ができました。年賀状の時期などには部屋いっぱいに新聞紙を広げ、きれいに印刷されたはがきを一枚一枚並べていったものです。同様の印刷機は何種類かあったのですがとにかくできあがりが美しく、高価な機械だったにも関わらず一世を風靡しました。1000万台も売れたのです。

 

 ただしこのプリントゴッコ、私たち教員には特別の意味を持っています。これが生まれなかったら、今日の学校はずいぶんと違ったものになったのかもしれないからです。

 

 1946年、元陸軍少尉の羽山昇という人は教職を目指したものの軍人の公職追放によって果たせず、代わってガリ版印刷の会社を立ち上げます。なかなかの野心家だったらしく一方でガリ版印刷の注文を受けながら、他方で新しい孔版印刷機の開発に打ち込んでいました。そしてその結果、赤外線を利用し原版を5秒でつくりあげるという素晴らしい機械を発明します。

 

 1968年、それに目をつけたアメリカの大企業3Mと契約を結び、1億8千万円の借金をして新工場を建設するのですがそのときになって計画は突然とん挫してしまいます。アメリカのゼロックス社がボタン一つで鮮やかな複写を行う普通紙コピー機を開発してしまったのです。3Mは計画から手を引き、羽山の下には借金だけが残ります。

 

 それでも羽山は諦めませんでした。ガリ版印刷の関係で出入りする学校には単価の高いコピー機を使うだけの余裕がなく、教員がいつまでもガリ版印刷をしている(私もその一人でした)事実を知っていたからです。教職へのあこがれはなおも強く、何とか学校の役に立ちたかったのです(と、NHKの「プロジェクトX」では言っていた)。

 

 その開発の過程で生まれたのがプリントゴッコでした。原理的には今日「リソグラフ」と呼ばれているものと全く同じで、その原型といってもいいようなものです。「ボタン一つで操作できて手を汚さず、1分間に120枚」という本来の目標には遠く及ばないものでしたが、家庭ではがきを印刷するには十分な装置でした。

 

 「プリントゴッコ」は爆発的に売れ、理想科学社(現在のRISO=理想科学工業)の経営に一息をつかせます。

 1980年、RISOは世界初の全自動孔版印刷機を売り出します。全国の学校は待ちかねたかのようにこの機械に飛びつき、初代リソグラフは5年間で3万台も使われるようになったといいます。

 たしかに、RISOの印刷機がなければ今日の私たちの生活はとんでもなく違ったものになっていたのは確実です。

 

 プリントゴッコ、当時は全く値引きしない商品でイライラしましたが、その収入が今の学校を支えていると考えると、買っておいてよかったなと思います。