見て良きもの

 招かれて濱先生の結婚式に出席してきました。

 式に出席するときはたいてい「結婚式といっても幸せなのは二人くらいで、招かれた人のいったい誰が幸せ?」とかブーたれて出かけるのですが、なぜかいつもそここその幸せ気分で帰ってきます。それは新郎新婦の幸せのお裾分けをもらうといったようなものではなく、世代が繰り返されることの静かな喜び、私たちが経てきたようにこの人たちも人生を綴って行くだろうという安心感、同じトーンですべてが永続することの幸せ、そういったもののような気がします。

 他人の結婚式を見て、そこに自分の人生を重ね合わせる。二人だけの時期があり、初めて子どもを授かった日があり、乳の匂いのする赤ん坊を恐る恐る抱いたり、歩き始めると危険極まりない子の姿を延々と目で追い、小学校の行事を見に行き、部活動で追っかけをしたり、受験に悩んだり・・・そういうことをこの人たちもしていくだろう、そんなふうに老いて行くだろうと、そう感じるのが何んとも心地よいのです。

 もちろん、よく点検すれば自分の人生もそんなによかったわけでもなく、汚いことも醜いことも、悲しいことも頭にくることもたくさんあったはずですが、記憶のフィルターはたいていの負を帳消しにしてしまいます。

 人間は便利な生き物です。

 人生がそんなに簡単なものではないと知りながら、気楽に「お幸せに」と言うのは無責任のような気もしますが、まあ、単にスタートを切ったというだけのことです。私からも、お幸せにと言っておきましょう。